夢で出逢えたなら 僕は君に言うだろう
上木ゆずか卒業ライブから1週間が経った
卒業前の1週間はふとした瞬間に涙が出てきたり
夜通しで朝まで特典会を実施した後、自宅についてからのぬぐいきれないくらいの虚無感と喪失感
正直ここまで感情的な気持ちになるとは思ってなかった
良くも悪くも薄情なところがあるというか、所詮アイドルなんて他人だし、自分から見てそう思うのであればアイドル側からしてみれば自分なんて余計に他人だと思っている
そう思うようにしている
地下アイドルのヲタクを初めて6年くらいになるが、推しの卒業期間を全うに過ごしたことがなかった
これまでに卒業を見送ってきた推しという存在はもちろんいたが
その時メインで通っている推しの卒業を見届ける、卒業までの残りの期間を過ごすみたいなことはやってこなかった
卒業を見届けることもなく自分が行かなくなったケースもあるが、最後の卒業ライブだけはちゃんと見届けたというケースが多く
強いて言うなら、昨年花いろはを辞めた佐倉ちひろに関しては、発表から卒業まで期間が極めて少なく、卒業期間といったものがないに等しかった
そいうことを経験していなかった自分は常々、卒業間近になって残りの期間を惜しむようにライブに通いつめたり
いつも以上にチェキをとったりすることは絶対にしないし、絶対にやりたくないと思っていた
なんなら、これで終わりを迎えるアイドルに対して、今更時間やお金、労力をつぎ込むのももったいない話くらいに思っていた
ただ、実際そういう境遇に直面すると「これで最後だから」を理由にライブも行ったし、普段は1枚しかとらないチェキも多く撮った
全部自分らしくないなと思いながらも、薄情だけど情にはもろい矛盾した性格が出てたなと思う
でも、9月くらいから卒業までのひと月半、もっと言うと卒業発表されてからの10ヵ月くらいとても濃かった
自分は枕詞に”上木ゆずか推しではなかったけど”を毎回付けたくなるくらいには、ゆずか推しとして生きて期間は短いが
昨年の秋くらいからはなんとなく、ゆずかのために行くライブも増えたきがする
2ndワンマンで卒業が発表されて、振り返ってみたら、9周年ライブ、大阪遠征、黒フェス、京都オフ会、JICIF、福岡遠征、ミストフェス、関ヶ原、3rdワンマン、北海道遠征、東名阪千ツアー、卒業ライブと
多くの遠征ができて、関ケ原の徳川ステージも経験して、ツアーもやって、ワンマンもやって、現場を通う上でやりたいことはほとんどできた気がする
ジュリアハウスのグループに通ってると、野外フェスの充実度は高いが、ツアーやワンマンといったものに対しては他事務所と比較すると消極的で物足りないところはある
なので自分としてはこの1年近くほんとにいろいろなことができて充実していた
ゆずかが卒業発表の時に、卒業するという立場を使って、徳川ステージにも立って、ツアーもやって、みたいなやりたいこと最後にやってやるみたいなこと言ってたけど
実際ゆずかが卒業するにあたって、ゆずかのやりたいことの実現が、自分にとってのやりたいことでもあったので、ゆずかのおかげでいい思いをさせてもらったと思う
とは言え、卒業発表された時点では最後ここまでゆずかに着いていくなんて思ってなかった
ひとつタイミングがあったとすれば9周年ライブだったと思う
あの9周年ライブの日、夏の絶対王者でおなじみ(おなじみではない)elsyの昨秋のツアー全通特典バスツアーがあった
自分にはその参加権があり、ツアー全通するくらいのモチベーションもあったので捨て難いイベントではあったが
上木ゆずかがCoverGirlsもワンダーウィードもやるっていうのに、古のカバガヲタクの生き残りとして、古参面しないわけに行かないと思い、9周年イベントを選択した
正直、その日のライブがこの上なく楽しくて、上木美亜時代から含めて5年以上応援してきて良かったなと思ったし、あの日、別の選択をとっていたら卒業までの濃い期間もなかった気がする
最後のツアー日程が発表されて、その中で卒業公演の日にちも決まった
ツアーの中で1番嬉しかったのがP-Locoとのツーマン
今となってはなんであのグループに通ってたのかと思うけど「precious love♡」という楽曲の一強で通ってた
コラボやるって言ったときに“どうせ”ガチ恋人間太田くんだろうと思ってたし
P-Loco側からしてみれば挨拶の名刺代わりのような楽曲、100回ライブしたら150回はやる楽曲なので
たぶん上木ゆずかさんとガチ恋人間太田くんをコラボしたかったとは思う
ゆずか自身もなんとなくP-Locoといえばガチ恋人間太田くんという認識はあったと思うしprecious love♡という曲なんて言われても分からないくらいだったと思うけど
最後、自分の1番好きな曲をやってくれて、正直大忖度ではあったとは思うけど
期待には期待以上で応えてくれるゆずかに大感謝だった
ツアーの中でゆずかやりたかった三国ヶ丘Fuzzでのライブ
楽曲を提供してもらってるDear Lovingさんをゲストに招いてのライブ、会場の手配も協力してくださったそうで
最後ゆずかのために力を貸してくれたり動いてくれるたくさんの大人の方が見えてそれもゆずかの人柄なのかなと思った
過去に少しだけ在籍していた仮面女子の事務所主催イベントにも最後呼んでもらえて
誰もが知っているボートの演出で落ちサビ歌ったり、自分がまだ全然AKBのヲタクしてた頃から唯一知っていた立花あんなさんが来てくれたり
こんなに大人に可愛がってもらえるポテンシャルこそゆずかの1番のつよみかなと思った
でも、ゆずかを通してヲタクしていると「裏方さん」の存在がよく見える(いい意味で)
ゆずかの卒業公演の手紙の中で1番好きだったのが
楽曲を提供してくださってるひとりひとりの提供者やダンスの振り付けしてくださってる先生に対する感謝の気持ちが述べられていたこと
衣装をデザインしてくれている平松可奈子さんは衣装だけではなくプロデュースブランドの洋服のファンだったり
なんだかんだで自身の可能性を引き出してくれた白木さんへの感謝だったり
今まで見てきたアイドルのなかでもここまで自身の環境や周りで支えてくれる方への感謝・リスペクトができてる子もいなかったと思う
楽曲、振り、衣装そういうところに対するこだわりと誇りみたいなのが感じられたからこそシーシャノというグループを好きになれた部分はあったと思う
オブラートに包まず言うならばゆずかは「特別扱い」を受けているように見えてしまいがちで
それをよく言わない人もまあ世の中にはたくさんいたと思う
出る杭は打たれるし、可愛がられれば妬まれることもあるだろうし
でもゆずかがアイドルとしてここまで大きくなれたのは
「大人に可愛がられるスキル」
にあったと思う
決して媚びたりそういうのではなく
日々の行動やアイドル活動に対するひたむきさ
楽曲、ダンス、衣装に対するリスペクト
スタッフさんや裏方さんに対する気配り
そういうものすべてが「この子のために何かやってあげたい」につながっていたと思う
これからもそういうところは大切にしていって欲しいし
ゆずかがこれからもそうであり続けられればこれからの芸能生活もうまくいくのかなって勝手に思ってる
最後の会場はVeats SHIBUYAに決まった
本人は最後BLAZEが良かったって言ってたけど、個人的にはVeatsだと聞いて嬉しかったし、終わってみてもVeatsで良かったなと思う
卒業公演前にはKAMI-FESという形でジュリアのユニットと佐倉ちひろ大先生を招いての対バン
ゆずかはこのKAMI-FESの詳細が出る前「誰よりも絶対喜ぶから」と早くいいたそうにずっとしてたけど
佐倉ちひろさんはこの日出ます的なのを全然におわせてたので(告知の遅いジュリアハウス、佐倉ちひろ側からしてみれば平日の早い時間に予定をあけておいてもらわないといけないので仕方ない)
普通に気づいてはいたのですが
でも最後までゆずかの誰よりも楽しませてくれる精神はありがたかった
ちひろが出るとなると気合の入り方も違うし、ここが俺のジュリアハウサーとしての墓場でもいいなと思った
最後にちひろとゆずかが一緒にステージに立ってる姿を見れて思い残すことはなかったし
紛れもなく「最高」とはこれだと思うライブだった
主観というものがライブを通して感じるものを大きく変えると思うが
佐倉ちひろというアイドル、上木ゆずかというアイドルとこれまでに過ごしてきた時間や関係性を含めるとこれ以上のアイドルはいない
ライブで最高の時間を共有するためにはそれまで積み上げてきたものがあってのものだと思っているので
間違いなくあの空間の中で自分が感じたものが1番最高だったと自信をもって言えると思う
ちひろ、ゆずか、ゆめかの3人が一緒に活動していたのは2019年ではあるが
それぞれが違う道で大きく成長してやるコラボだったからこそ良かったのもあった
当時の3人の関係性を見ても2023年こうしてコラボするほどの関係性ではぶっちゃけ無かったと思うし
言ったら自分もその時代のワンダーウィードは避けてたところはあったし
じゃあ2019年に戻ったらあの時代のワンダーウィードに通いますかと言われると絶対にNoだと思う
それぞれが成長したからこそ実現したものであったし、最高につながったと思う
ワンダーウィードとしてのちひろ、ゆずかをみて
自分は
「花いろは」の佐倉ちひろのヲタク
であり
「シーシャノシャノワール」の上木ゆずかのヲタク
であるなと
改めて思った。2人がずっとワンダーウィードやってたらあの景色は無かったと思うし
それぞれ自分のグループを1から持つことで成長した部分があったからこそ、そこついていこうとおもう自分がいたと改めて感じた
卒業ライブ、絶対に泣くだろうと思ってたし、なんなら最後めちゃくちゃに泣いて終わりたいくらいの気持ちだったが
自然と涙はあまり出てこなかった
寂しさ、悲しさよりも楽しさが圧倒的に上回っていて
卒業ライブ以前に一つのライブ、ツアーファイナルとしていいライブだった
ライブ前も不思議と楽しみという気持ちのほうが強かった
本音を言うと、生誕とかワンマンとか夏フェスのメインステージとか、卒業とか
そのためにヲタクやってると言っても過言ではないのに、今まであんまり好きじゃなかった
そのためにヲタクやってるからこそ、そこで見たくないもの、感じたくないもののほうが気になって
いつの日か無い方が幸せだと思うくらいになっていた
毎回極度の憂鬱さを感じながら「終わってみればよかったかな」くらいの気持ちで、正直いろんなことに目をつぶりながら生きてきた
積み重ねてきた時間や関係がそういう場を通して水を差されてしまうのが嫌だった
けど、この1年で生誕、夏フェス、ツアー、ワンマン、いろいろやってきたけど、ゆずかと過ごした時間の中でそういう言ったマイナスの感情は一つもなくて
常に楽しみで始まり楽しかったで終えられた
3rdワンマンも自分が見てきたワンマンの中で気持ちの入り方とそこで得られたものが大きいものがあった
ここ1番で水をさすようなことを絶対にしない信頼と、絶対に期待を超えてくれる信頼がゆずかにはあった
だから最後の最後までプラスの感情で終えることができた
最後のライブ、ゆずかを見届けに来たたくさんの人がいるにも関わらず
自分に対する視線やレスが今までのライブの中で1番多かったと思う
ライブパフォーマンスにおいてそういう偏りがないところも好きだったけど
最後の最後で限られた時間、パフォーマンスを最大限に自分に割いてくれたこと
卒業公演という場でそういう気持ちになれたことはほんとにゆずかを推していて良かったし
こんな幸せなヲタク人生ってあるんだなと思った
ただ誰かが報われる裏では絶対に誰かが報われない思いをしているのも事実で
最後の半年くらい自分がいないほうが良かったと思ってる人もまあいるとは思う
客観的に自分を見るならば間違いなくシークレットシャノワールという現場の雰囲気には逆行していたタイプだった
もしかしたらそんなことも思いもしない寛容な人たちだったからこそ出来上がってた現場の雰囲気だったかもしれないし
ライブ中の熱量のあるフロアだったのかもしれない
この地下アイドルという現場に通ってると不条理なこともたくさんあって
綺麗事言ってたら自分が馬鹿を見る世界でもあって
自分も最後つまらない思いをしないために必死だった
ゆずかはそういうヲタクの不条理さみたいなところにも理解がすごくあって
ヲタク側が疑問に抱いていることに対してもはっきりと正しい意見をくれることが多かった
開店直後の他に誰もいないまぜる〜むで話す、絶対に他のアイドル、ヲタクの前では言えないようなぶっちゃけた会話の中で感じる
ゆずかのアイドルらしくはないけど人として正しい価値観をもったところが好きだった
何事に対しても肯定しあってプラスの感情だけを共有し合うことも大事なのかなって思うけど
本音をさらけ出してマイナスの感情を共有できる人間の方が信用できるなと個人的には思う
他人に言うのをためらうようなことでも、ゆずかには何でも話せる存在だったと思う
上木ゆずかというアイドルは言いたいこと言ってしまうタイプなので、万人に好かれるタイプでもなかったし万人を好くタイプでもなかった
自分自身もわりと人の好き嫌いははっきりしてるほうなので
この6年くらい一度も揉めるみたいなこともない関係だったのが不思議なくらいだ
なんとなく価値観と言うか物事にたいするものさしが似ていたこととそれが他人に流されることがなかったことが1番の理由かなと思う
自分はゆずか推しじゃなかったから、過度に期待するものなかったかし、これと言って見返りも求めなかったのもあると思う
現場に通えば通っただけ見返りは求めてしまうのは事実で
自分は常に「まあ自分はゆずか推しでもないし」くらいのモチベーションで身の程わきまえて生きてたから
ここまでこれたと思う
見返りは求めなかったと書いたけど、常に自分がやってあげてること以上の見返りはもらってた、もらってしまってたと思う
だからこそゆずかのことだけはずっと味方でいようとお思ったし、好きだった
最後の期間は少しでもその恩を返せたらと思って通ったつもりが、その通ってる中でもそれ以上のものを常に返してもらって
結局ゆずかには与えられてばっかりでこれといって何もしてあげられて無かったなと思う
敢えて言うなら、シークレットシャノワールのライブに価値を感じでライブを誰よりも楽しんであげられたことはひとつ自分にとって力になれたことかなとは思う
上木ゆずかの卒業にあたってのブログタイトル
迷うこともなくこれしか考えられなかった
今改めて歌詞を見て“夢”と書いて“ゴール”を意味するのだと知った。余計に卒業という状況に相応しく感じる
シーシャノのライブで1番のクライマックスと言っても過言では無い瞬間がBrave☆Believerという曲の落ちサビである
ゆずかのソロのから始まるこの落ちサビ、フロア全体の「ゆずか」コールの一体感、熱量はほんとにすごい
これに関してはJuliaHouseのどこのグループにもないレベルの空間を感じる
Brave☆Believerという曲も去年の12月くらいに初めて聴いて、これと言って好きでもなかったし想い入れもなかった
気づいたらここ1番の局面でやる曲になってたし、自分も気持ちが入る曲になってた
そもそもいつからシーシャノというグループにこんなに気持ちを入れて行きだしたのか
色々考えたけど「声出し可」になったことで、シーシャノライブの良さが出てきたところだと思う
シーシャノライブの何が好きか、何を求めて行っているかと言われたら、コールのフロアの熱量と一体感、それに尽きるとおもう
自分は昔からゆずかの1番好きなところはコールをもらってるときの満面の笑顔だと言っている
それが好きでカバガ時代からワンウィ時代も美亜ちゃんコール、ゆずかコールを気持ちを入れてやってきた
ゆずかも自分のコールを喜んでくれるし、昔にさかのぼってまでもあの時のコールが嬉しかったと言われるくらいに
お互いのライブの中で通じ合えるツールがゆずかパートとコールだった
間違いなく卒業ライブの中であの時間が最高潮だったと思うし、落ちサビに入る前のアイコンタクトは一生忘れないと思う
自分とゆずかにとっての最高の瞬間がコールによって作り上げるものだったことは自分たちらしくて嬉しかった
卒業発表した頃はここまで声出しありのライブが形になってなかったし
正直去年の12月と今では心境も違うと思う
本人はあの時やめると言ったからには卒業するしか無かったとは思うけど
そこからの期間でできたこと、作り上げたものをみるとまだやれる、やりたいと思ってたんじゃないかなと思う
1年前に今のシーシャノのライブ感が出来上がってたら、あの時の卒業は考えてもなかったような気もする
後悔は無いだろうし、卒業を決めて最後にやりきった結果が今であって
じゃあ卒業発表してなかったら今に繋がってかはわからないし
終わりの見えないなかでまだアイドルを続けると言っても今が続くとも限らない
シーシャノほんとに大丈夫か?って思うこともあったし色んなグループが活動休止したり綺麗に卒業していくアイドルも限られた中で
最後やりきって綺麗に卒業できたことは良かったと思う
それがまた次につながればいいと思う
自分自身ももっと早くからゆずか推しとして応援してあげればよかったと思うかと言われれば
そこに後悔はない
1年前くらいから今まで以上に関係が深まって、春先から主現場として通って
それで良かったと思う
10/20の卒業ライブで自分のヲタク人生この先これ以上のものは絶対無いと確信をもって思えた結果がすべてなんだと思う
最初はゆずかの卒業をひとつのタイミングや区切りくらいにしか捉えてなかったけど
KAMI-FESで佐倉ちひろと上木ゆずかのステージをみたことはヲタク人生の集大成に感じたし
これだけ長年見てきたアイドルの卒業ライブで感じるものは限りなく特別だったと思うと
今はもうライブに行かなくてもいいかなの気持ちくらいは出てきたし、軽い気持ちで現場に通って
またつまらないことでマイナスな感情で上書きされるのが率直に嫌だなと思う
ヲタクの「ヲタク辞める」は辞めないのは事実なのでヲタク辞めますとは絶対言わないけど。笑
自分は上木ゆずかのファンでもなければヲタクでもなくしっくりくる言葉が“味方”だったのかなと思うけど
これからもずっとゆずかの“味方”でいれたらなと思う
2018年の1月6日 たまたまランダムチェキで上木美亜のチェキ券引いてなかったら今はあったのかなとか思う
やり残したことはないけど、強いて言うなら
今年の夏が最後だったからこそ竜王のメインステージはみたかったな
ほんとのいちばん!©️