夢で出逢えたなら 僕は君に言うだろう
上木ゆずか卒業ライブから1週間が経った
卒業前の1週間はふとした瞬間に涙が出てきたり
夜通しで朝まで特典会を実施した後、自宅についてからのぬぐいきれないくらいの虚無感と喪失感
正直ここまで感情的な気持ちになるとは思ってなかった
良くも悪くも薄情なところがあるというか、所詮アイドルなんて他人だし、自分から見てそう思うのであればアイドル側からしてみれば自分なんて余計に他人だと思っている
そう思うようにしている
地下アイドルのヲタクを初めて6年くらいになるが、推しの卒業期間を全うに過ごしたことがなかった
これまでに卒業を見送ってきた推しという存在はもちろんいたが
その時メインで通っている推しの卒業を見届ける、卒業までの残りの期間を過ごすみたいなことはやってこなかった
卒業を見届けることもなく自分が行かなくなったケースもあるが、最後の卒業ライブだけはちゃんと見届けたというケースが多く
強いて言うなら、昨年花いろはを辞めた佐倉ちひろに関しては、発表から卒業まで期間が極めて少なく、卒業期間といったものがないに等しかった
そいうことを経験していなかった自分は常々、卒業間近になって残りの期間を惜しむようにライブに通いつめたり
いつも以上にチェキをとったりすることは絶対にしないし、絶対にやりたくないと思っていた
なんなら、これで終わりを迎えるアイドルに対して、今更時間やお金、労力をつぎ込むのももったいない話くらいに思っていた
ただ、実際そういう境遇に直面すると「これで最後だから」を理由にライブも行ったし、普段は1枚しかとらないチェキも多く撮った
全部自分らしくないなと思いながらも、薄情だけど情にはもろい矛盾した性格が出てたなと思う
でも、9月くらいから卒業までのひと月半、もっと言うと卒業発表されてからの10ヵ月くらいとても濃かった
自分は枕詞に”上木ゆずか推しではなかったけど”を毎回付けたくなるくらいには、ゆずか推しとして生きて期間は短いが
昨年の秋くらいからはなんとなく、ゆずかのために行くライブも増えたきがする
2ndワンマンで卒業が発表されて、振り返ってみたら、9周年ライブ、大阪遠征、黒フェス、京都オフ会、JICIF、福岡遠征、ミストフェス、関ヶ原、3rdワンマン、北海道遠征、東名阪千ツアー、卒業ライブと
多くの遠征ができて、関ケ原の徳川ステージも経験して、ツアーもやって、ワンマンもやって、現場を通う上でやりたいことはほとんどできた気がする
ジュリアハウスのグループに通ってると、野外フェスの充実度は高いが、ツアーやワンマンといったものに対しては他事務所と比較すると消極的で物足りないところはある
なので自分としてはこの1年近くほんとにいろいろなことができて充実していた
ゆずかが卒業発表の時に、卒業するという立場を使って、徳川ステージにも立って、ツアーもやって、みたいなやりたいこと最後にやってやるみたいなこと言ってたけど
実際ゆずかが卒業するにあたって、ゆずかのやりたいことの実現が、自分にとってのやりたいことでもあったので、ゆずかのおかげでいい思いをさせてもらったと思う
とは言え、卒業発表された時点では最後ここまでゆずかに着いていくなんて思ってなかった
ひとつタイミングがあったとすれば9周年ライブだったと思う
あの9周年ライブの日、夏の絶対王者でおなじみ(おなじみではない)elsyの昨秋のツアー全通特典バスツアーがあった
自分にはその参加権があり、ツアー全通するくらいのモチベーションもあったので捨て難いイベントではあったが
上木ゆずかがCoverGirlsもワンダーウィードもやるっていうのに、古のカバガヲタクの生き残りとして、古参面しないわけに行かないと思い、9周年イベントを選択した
正直、その日のライブがこの上なく楽しくて、上木美亜時代から含めて5年以上応援してきて良かったなと思ったし、あの日、別の選択をとっていたら卒業までの濃い期間もなかった気がする
最後のツアー日程が発表されて、その中で卒業公演の日にちも決まった
ツアーの中で1番嬉しかったのがP-Locoとのツーマン
今となってはなんであのグループに通ってたのかと思うけど「precious love♡」という楽曲の一強で通ってた
コラボやるって言ったときに“どうせ”ガチ恋人間太田くんだろうと思ってたし
P-Loco側からしてみれば挨拶の名刺代わりのような楽曲、100回ライブしたら150回はやる楽曲なので
たぶん上木ゆずかさんとガチ恋人間太田くんをコラボしたかったとは思う
ゆずか自身もなんとなくP-Locoといえばガチ恋人間太田くんという認識はあったと思うしprecious love♡という曲なんて言われても分からないくらいだったと思うけど
最後、自分の1番好きな曲をやってくれて、正直大忖度ではあったとは思うけど
期待には期待以上で応えてくれるゆずかに大感謝だった
ツアーの中でゆずかやりたかった三国ヶ丘Fuzzでのライブ
楽曲を提供してもらってるDear Lovingさんをゲストに招いてのライブ、会場の手配も協力してくださったそうで
最後ゆずかのために力を貸してくれたり動いてくれるたくさんの大人の方が見えてそれもゆずかの人柄なのかなと思った
過去に少しだけ在籍していた仮面女子の事務所主催イベントにも最後呼んでもらえて
誰もが知っているボートの演出で落ちサビ歌ったり、自分がまだ全然AKBのヲタクしてた頃から唯一知っていた立花あんなさんが来てくれたり
こんなに大人に可愛がってもらえるポテンシャルこそゆずかの1番のつよみかなと思った
でも、ゆずかを通してヲタクしていると「裏方さん」の存在がよく見える(いい意味で)
ゆずかの卒業公演の手紙の中で1番好きだったのが
楽曲を提供してくださってるひとりひとりの提供者やダンスの振り付けしてくださってる先生に対する感謝の気持ちが述べられていたこと
衣装をデザインしてくれている平松可奈子さんは衣装だけではなくプロデュースブランドの洋服のファンだったり
なんだかんだで自身の可能性を引き出してくれた白木さんへの感謝だったり
今まで見てきたアイドルのなかでもここまで自身の環境や周りで支えてくれる方への感謝・リスペクトができてる子もいなかったと思う
楽曲、振り、衣装そういうところに対するこだわりと誇りみたいなのが感じられたからこそシーシャノというグループを好きになれた部分はあったと思う
オブラートに包まず言うならばゆずかは「特別扱い」を受けているように見えてしまいがちで
それをよく言わない人もまあ世の中にはたくさんいたと思う
出る杭は打たれるし、可愛がられれば妬まれることもあるだろうし
でもゆずかがアイドルとしてここまで大きくなれたのは
「大人に可愛がられるスキル」
にあったと思う
決して媚びたりそういうのではなく
日々の行動やアイドル活動に対するひたむきさ
楽曲、ダンス、衣装に対するリスペクト
スタッフさんや裏方さんに対する気配り
そういうものすべてが「この子のために何かやってあげたい」につながっていたと思う
これからもそういうところは大切にしていって欲しいし
ゆずかがこれからもそうであり続けられればこれからの芸能生活もうまくいくのかなって勝手に思ってる
最後の会場はVeats SHIBUYAに決まった
本人は最後BLAZEが良かったって言ってたけど、個人的にはVeatsだと聞いて嬉しかったし、終わってみてもVeatsで良かったなと思う
卒業公演前にはKAMI-FESという形でジュリアのユニットと佐倉ちひろ大先生を招いての対バン
ゆずかはこのKAMI-FESの詳細が出る前「誰よりも絶対喜ぶから」と早くいいたそうにずっとしてたけど
佐倉ちひろさんはこの日出ます的なのを全然におわせてたので(告知の遅いジュリアハウス、佐倉ちひろ側からしてみれば平日の早い時間に予定をあけておいてもらわないといけないので仕方ない)
普通に気づいてはいたのですが
でも最後までゆずかの誰よりも楽しませてくれる精神はありがたかった
ちひろが出るとなると気合の入り方も違うし、ここが俺のジュリアハウサーとしての墓場でもいいなと思った
最後にちひろとゆずかが一緒にステージに立ってる姿を見れて思い残すことはなかったし
紛れもなく「最高」とはこれだと思うライブだった
主観というものがライブを通して感じるものを大きく変えると思うが
佐倉ちひろというアイドル、上木ゆずかというアイドルとこれまでに過ごしてきた時間や関係性を含めるとこれ以上のアイドルはいない
ライブで最高の時間を共有するためにはそれまで積み上げてきたものがあってのものだと思っているので
間違いなくあの空間の中で自分が感じたものが1番最高だったと自信をもって言えると思う
ちひろ、ゆずか、ゆめかの3人が一緒に活動していたのは2019年ではあるが
それぞれが違う道で大きく成長してやるコラボだったからこそ良かったのもあった
当時の3人の関係性を見ても2023年こうしてコラボするほどの関係性ではぶっちゃけ無かったと思うし
言ったら自分もその時代のワンダーウィードは避けてたところはあったし
じゃあ2019年に戻ったらあの時代のワンダーウィードに通いますかと言われると絶対にNoだと思う
それぞれが成長したからこそ実現したものであったし、最高につながったと思う
ワンダーウィードとしてのちひろ、ゆずかをみて
自分は
「花いろは」の佐倉ちひろのヲタク
であり
「シーシャノシャノワール」の上木ゆずかのヲタク
であるなと
改めて思った。2人がずっとワンダーウィードやってたらあの景色は無かったと思うし
それぞれ自分のグループを1から持つことで成長した部分があったからこそ、そこついていこうとおもう自分がいたと改めて感じた
卒業ライブ、絶対に泣くだろうと思ってたし、なんなら最後めちゃくちゃに泣いて終わりたいくらいの気持ちだったが
自然と涙はあまり出てこなかった
寂しさ、悲しさよりも楽しさが圧倒的に上回っていて
卒業ライブ以前に一つのライブ、ツアーファイナルとしていいライブだった
ライブ前も不思議と楽しみという気持ちのほうが強かった
本音を言うと、生誕とかワンマンとか夏フェスのメインステージとか、卒業とか
そのためにヲタクやってると言っても過言ではないのに、今まであんまり好きじゃなかった
そのためにヲタクやってるからこそ、そこで見たくないもの、感じたくないもののほうが気になって
いつの日か無い方が幸せだと思うくらいになっていた
毎回極度の憂鬱さを感じながら「終わってみればよかったかな」くらいの気持ちで、正直いろんなことに目をつぶりながら生きてきた
積み重ねてきた時間や関係がそういう場を通して水を差されてしまうのが嫌だった
けど、この1年で生誕、夏フェス、ツアー、ワンマン、いろいろやってきたけど、ゆずかと過ごした時間の中でそういう言ったマイナスの感情は一つもなくて
常に楽しみで始まり楽しかったで終えられた
3rdワンマンも自分が見てきたワンマンの中で気持ちの入り方とそこで得られたものが大きいものがあった
ここ1番で水をさすようなことを絶対にしない信頼と、絶対に期待を超えてくれる信頼がゆずかにはあった
だから最後の最後までプラスの感情で終えることができた
最後のライブ、ゆずかを見届けに来たたくさんの人がいるにも関わらず
自分に対する視線やレスが今までのライブの中で1番多かったと思う
ライブパフォーマンスにおいてそういう偏りがないところも好きだったけど
最後の最後で限られた時間、パフォーマンスを最大限に自分に割いてくれたこと
卒業公演という場でそういう気持ちになれたことはほんとにゆずかを推していて良かったし
こんな幸せなヲタク人生ってあるんだなと思った
ただ誰かが報われる裏では絶対に誰かが報われない思いをしているのも事実で
最後の半年くらい自分がいないほうが良かったと思ってる人もまあいるとは思う
客観的に自分を見るならば間違いなくシークレットシャノワールという現場の雰囲気には逆行していたタイプだった
もしかしたらそんなことも思いもしない寛容な人たちだったからこそ出来上がってた現場の雰囲気だったかもしれないし
ライブ中の熱量のあるフロアだったのかもしれない
この地下アイドルという現場に通ってると不条理なこともたくさんあって
綺麗事言ってたら自分が馬鹿を見る世界でもあって
自分も最後つまらない思いをしないために必死だった
ゆずかはそういうヲタクの不条理さみたいなところにも理解がすごくあって
ヲタク側が疑問に抱いていることに対してもはっきりと正しい意見をくれることが多かった
開店直後の他に誰もいないまぜる〜むで話す、絶対に他のアイドル、ヲタクの前では言えないようなぶっちゃけた会話の中で感じる
ゆずかのアイドルらしくはないけど人として正しい価値観をもったところが好きだった
何事に対しても肯定しあってプラスの感情だけを共有し合うことも大事なのかなって思うけど
本音をさらけ出してマイナスの感情を共有できる人間の方が信用できるなと個人的には思う
他人に言うのをためらうようなことでも、ゆずかには何でも話せる存在だったと思う
上木ゆずかというアイドルは言いたいこと言ってしまうタイプなので、万人に好かれるタイプでもなかったし万人を好くタイプでもなかった
自分自身もわりと人の好き嫌いははっきりしてるほうなので
この6年くらい一度も揉めるみたいなこともない関係だったのが不思議なくらいだ
なんとなく価値観と言うか物事にたいするものさしが似ていたこととそれが他人に流されることがなかったことが1番の理由かなと思う
自分はゆずか推しじゃなかったから、過度に期待するものなかったかし、これと言って見返りも求めなかったのもあると思う
現場に通えば通っただけ見返りは求めてしまうのは事実で
自分は常に「まあ自分はゆずか推しでもないし」くらいのモチベーションで身の程わきまえて生きてたから
ここまでこれたと思う
見返りは求めなかったと書いたけど、常に自分がやってあげてること以上の見返りはもらってた、もらってしまってたと思う
だからこそゆずかのことだけはずっと味方でいようとお思ったし、好きだった
最後の期間は少しでもその恩を返せたらと思って通ったつもりが、その通ってる中でもそれ以上のものを常に返してもらって
結局ゆずかには与えられてばっかりでこれといって何もしてあげられて無かったなと思う
敢えて言うなら、シークレットシャノワールのライブに価値を感じでライブを誰よりも楽しんであげられたことはひとつ自分にとって力になれたことかなとは思う
上木ゆずかの卒業にあたってのブログタイトル
迷うこともなくこれしか考えられなかった
今改めて歌詞を見て“夢”と書いて“ゴール”を意味するのだと知った。余計に卒業という状況に相応しく感じる
シーシャノのライブで1番のクライマックスと言っても過言では無い瞬間がBrave☆Believerという曲の落ちサビである
ゆずかのソロのから始まるこの落ちサビ、フロア全体の「ゆずか」コールの一体感、熱量はほんとにすごい
これに関してはJuliaHouseのどこのグループにもないレベルの空間を感じる
Brave☆Believerという曲も去年の12月くらいに初めて聴いて、これと言って好きでもなかったし想い入れもなかった
気づいたらここ1番の局面でやる曲になってたし、自分も気持ちが入る曲になってた
そもそもいつからシーシャノというグループにこんなに気持ちを入れて行きだしたのか
色々考えたけど「声出し可」になったことで、シーシャノライブの良さが出てきたところだと思う
シーシャノライブの何が好きか、何を求めて行っているかと言われたら、コールのフロアの熱量と一体感、それに尽きるとおもう
自分は昔からゆずかの1番好きなところはコールをもらってるときの満面の笑顔だと言っている
それが好きでカバガ時代からワンウィ時代も美亜ちゃんコール、ゆずかコールを気持ちを入れてやってきた
ゆずかも自分のコールを喜んでくれるし、昔にさかのぼってまでもあの時のコールが嬉しかったと言われるくらいに
お互いのライブの中で通じ合えるツールがゆずかパートとコールだった
間違いなく卒業ライブの中であの時間が最高潮だったと思うし、落ちサビに入る前のアイコンタクトは一生忘れないと思う
自分とゆずかにとっての最高の瞬間がコールによって作り上げるものだったことは自分たちらしくて嬉しかった
卒業発表した頃はここまで声出しありのライブが形になってなかったし
正直去年の12月と今では心境も違うと思う
本人はあの時やめると言ったからには卒業するしか無かったとは思うけど
そこからの期間でできたこと、作り上げたものをみるとまだやれる、やりたいと思ってたんじゃないかなと思う
1年前に今のシーシャノのライブ感が出来上がってたら、あの時の卒業は考えてもなかったような気もする
後悔は無いだろうし、卒業を決めて最後にやりきった結果が今であって
じゃあ卒業発表してなかったら今に繋がってかはわからないし
終わりの見えないなかでまだアイドルを続けると言っても今が続くとも限らない
シーシャノほんとに大丈夫か?って思うこともあったし色んなグループが活動休止したり綺麗に卒業していくアイドルも限られた中で
最後やりきって綺麗に卒業できたことは良かったと思う
それがまた次につながればいいと思う
自分自身ももっと早くからゆずか推しとして応援してあげればよかったと思うかと言われれば
そこに後悔はない
1年前くらいから今まで以上に関係が深まって、春先から主現場として通って
それで良かったと思う
10/20の卒業ライブで自分のヲタク人生この先これ以上のものは絶対無いと確信をもって思えた結果がすべてなんだと思う
最初はゆずかの卒業をひとつのタイミングや区切りくらいにしか捉えてなかったけど
KAMI-FESで佐倉ちひろと上木ゆずかのステージをみたことはヲタク人生の集大成に感じたし
これだけ長年見てきたアイドルの卒業ライブで感じるものは限りなく特別だったと思うと
今はもうライブに行かなくてもいいかなの気持ちくらいは出てきたし、軽い気持ちで現場に通って
またつまらないことでマイナスな感情で上書きされるのが率直に嫌だなと思う
ヲタクの「ヲタク辞める」は辞めないのは事実なのでヲタク辞めますとは絶対言わないけど。笑
自分は上木ゆずかのファンでもなければヲタクでもなくしっくりくる言葉が“味方”だったのかなと思うけど
これからもずっとゆずかの“味方”でいれたらなと思う
2018年の1月6日 たまたまランダムチェキで上木美亜のチェキ券引いてなかったら今はあったのかなとか思う
やり残したことはないけど、強いて言うなら
今年の夏が最後だったからこそ竜王のメインステージはみたかったな
ほんとのいちばん!©️
恋をして 恋に敗れ
ブログタイトルを決めるのと書き始めが1番むずかしい。
こだわっているわけではないが歌詞のワンフレーズをタイトルにして導入するスタイルをとっている。
「恋をして 恋に敗れ」って何の歌詞だよと思うだろうがこれは24時間テレビ公式テーマソングのサライの2番の歌い出しである。今ググって調べた
じゃあ恋をして恋に敗れた話をしたいのかと言われるとそうではない
24時間テレビといえば毎年夏の終わりの週末に放送される
CMのサライのオルゴールのメロディを聴くと夏の終わりを感じるとともに夏休みの宿題に追われる幼少期のツライ気持ちを思い出す
夏休みの宿題ってほんとに“提出するため”だけに存在した
まじめに全部やってくるやつなんて高校時代いなくて、全部出すだけて評価される世界だった
むしろ高校入学まえから大学に指定校で行くことを考えていたので評定を保つためにテストの点数よりも日頃の行いを重視した高校生活を送っていた
人生最後に書いた読書感想文は当時前田敦子主演で映画化までされた通称“もしドラ”だった
当然「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」なんて読んでない
映画を見て、本をパラパラめくって入ってきた各章の表題から思いついたことを適当に原稿用紙を埋めていっただけである
だいたい原稿用紙5枚、文字にして2000字、それの8割をかければいいだろうということで4枚超えるくらいを「」(カギカッコ)の改行を駆使して書いていた
ほんとになんの意味があるだろうなと思う
そもそも読書感想文の書き方って何が正解なんだろうなと思う。未だにわからない
読書感想文と2TOP張る自由研究もまた同じ
大学で教授に泣かされながら機械物理実験、機械工学実験、卒論を経てはじめて身につくスキルを義務教育の小中学生に求める文部科学省は正気かと思う
中学のときの自由研究のノルマが大学ノート20ページ、あるいはガンピ(模造紙のこと。ガンピというのは富山県だけらしい)1枚のまとめ
それはもう論文レベルだろ。卒論なんてだいたい本文と付図で20ページくらいだし、学会にでればポスターとして1枚にまとめる
当時は大学ノート20ページ分の研究成果なんてかけるわけなくてとりあえず1ページに写真を2枚ずつくらい貼ってページ数を稼いだ
悪いことをしてる気持ちだったが、普通に考えたらそれが正解だったんだと思う
人生最後の自由研究は中3のときに凍らしたペットボトルをいろんな環境においてどれが1番長持ちするかみたいなことをした
今思うと伝熱工学のニュートンの冷却の法則の実験なのかもしれない
今ならもっと面白いことできそうだなと思うし、自分に子供がいたら(希望的観測)子供よりも必死になって取り組み、誰が見てもそれ親がやっただろみたいな自由研究で金賞取らせてたと思う
今回のブログのテーマだが『夏休みの宿題』ではなく、一冊本を読んだのでその感想を書きたかったのである
ちなみにここまでで1192字なのですでに原稿用紙3枚分は書いた
あれほど文字を書くのが苦痛だったのに気づいたらそれくらいは書けてしまっている
でも文章は長ければいいってものでもないと佐藤ノアが言っていた
本ブログを愛読してる方にはおなじみかもしれないが最後にこのキャプチャを添えて“自虐”で終えるというルーティンがある
佐藤ノアのタレント活動として何をやってるかはそんなに知らないがSNSで発せられる言葉ひとつひとつのセンスや共感性がすごくすきで
言葉に魅力のある方だと思う
今回読んだ本が佐藤ノア著書の
『嫌いな自分にさよならしたいあなたにあげる魔法』
である
2020年に発売された本で発売されてすぐに買ったが読まずに放置していた
本は買うか読まないことが多い。正確にいうと読みきれないことが多い
漫画すら読まないし、アイドルがワンマン、生誕後にあげる長文テキストすら読めない
にも関わらず自分は長々と文章を書いているし、けっこう好きで全部読んだみたいなことを言ってくれる人もいるし、感想をくれる人もいる
基本的に発信する側が好きな自分が、受信する側として1番文章に魅力を感じるところが佐藤ノアにはある
もともと連載でお悩み相談をしていたのをベースに書籍化されたものなので短編で区切られていて読みやすい
自己肯定感やSNSに対するモチベーションにも言及していてヲタク目線でおもしろいと感じる部分や共感できる部分も多かった
若い女の子の恋愛相談の章に関してはヲタク目線で共感できる部分は何もなかった(それはそう)
もともと自己肯定感に対する人の考えたかには興味があるし、SNSも人とは違う発信の仕方を心がけている方なのでそれだけでも読む価値はあった
全部が全部共感できるわけでもないし自分に必要な部分でもないがキーワード厳選して書きたいと思う
ひとつめは「自己肯定感」についてである
『自己肯定感の高い低いなんて分からない』
『自己肯定感があるふうに見せてるだけで低いのはみんな同じ』
たしかに自己肯定感の高い低いの基準で何なのかと思うし、大抵の人は低いだろうとは思う
高い人はいるかもしれないが、それは低いという現実からあげるために努めた人の結果であって
自己肯定感があがればその中でまた自己肯定感は下がり(正確にいうと基準より低くなる)、上げるために努める、その繰り返しだ
「自己肯定感」に対して
自分は自己肯定感は常に低いタイプであはあると思うし、なかなか自分自身を肯定できるタイプではない
ただ自己肯定感は低いが他人と比較して何か見劣りしてるように感じるかと言われればそうでもない。あくまで自分がこうでありたいともうけた基準の中で、できているかできていないかだと思う
また自分の場合は他人に対する肯定感ももれなく低い
だから他人に対して全肯定ができなくて、極端な話、それができる人って物事に対してハードルが低い人なのかなと思うこともある
全肯定のなかにある肯定って、肯定そのものに価値を感じないし、否定の中にある肯定だからこそ価値を感じるし与えられるのかなと思う
別に自身も他人も否定しろとは思わないけど、ある程度肯定感の低さを持っていくことで、自分や他者の肯定感も上げられるのかなと思う。
結局自分自身に納得できる基準であって、その基準をクリアすればまた基準を上げての繰り返しで
基準を上げていく中で自己肯定感のマイナスは自然に生じるものなんだと思う
『この先のことなんて分からない、今日と明日を良くすることだけ考えて生きる』
自分が人として心からリスペクトするアイドル 佐倉ちひろ先生が2022年最後の夏フェス終わりに
「来年の夏も一緒にすごせるかな?」と問いかけてきたあとに
「でも私たちは常に今を昨日以上にしようと生きてるよね」
と言われたことがある。自分はアイドルと長い関係を築くことに対してすごく自信がなくて、『来年も』なんてなにがあるか分からないし、保証もできない
だからその時その時を最大限に過ごす、その積み重ねが長い関係に繋がるんだという思いでいることもあって
そのときに佐倉ちひろというアイドルからそのような言葉が出てきたことが嬉しかったのを覚えてる
自己肯定感は低いもの、自己肯定感があがればまたその次のステージで自己肯定感は低くなり、それを上げるために昨日よりも今日、今日よりも明日を生きるんだと思う
『一番好きな人間が常に自分でいられるようにする』
『私って何かいいかも、が、何かあればよい』
自分を好きでいられるモチベーションを保ち、1日の幸福度を上げるということだ
確かに、自己肯定感が低いといいながらも自分のことが嫌いかと言われれば嫌いでもない
もっとこうではありたいと思いながらも、現状自分に与えられた環境の中で満足に生きている
自分で自分のこと好きだなと思う瞬間はアイドルのライブに行って誰よりもバカみたいに踊ってるときかなと思う
あの瞬間だけは誰にも負けてない気持ちになれるし、誰よりも楽しかったという気持ちにもなれる
あえて誰もやらない土俵を選ぶのも一つ手だと思う
自分が踊ってみた動画を上げるときにイントロからワンコーラス投稿することをポリシーにおいてて
その理由がサビだけなら誰でも踊れるけど、ワンコーラスを覚えるヲタクはそういない。それができるだけで極論一人勝ちできる土俵でもある
他人からしてみればそれができたところでみたいなところはあるかもしれないが、それでも現に自分のモチベーションと自己肯定感を保ててる
誰よりもライブに行くでもいい、誰よりもチェキを撮るでもいい、誰よりもキレイに高くマサイするでもいい
ひとそれぞれ自分にあったかたち、自分にできることで自己肯定感を保てたらいいし、自分は幸いにも振りコピというジャンルでそれを見つけられた
『自分の楽しい時間が過ごせてたら好きな人の元カノのインスタなんて覗かない』
『人の携帯見てろくなことがないのと似ていて、探ればボロがでるのだから、せめて自分からは探しに行かない』
これはいいね欄を覗きに行ったり、TikTokのコメント欄を開いてみたり、配信に行ってみたり、人のアカウントを掘ったり
そういうのってたどり着く先は負でしかないから自分から断つようにしなければならないとは思うが、実際はできない
意外といい距離感保てるアイドルって、そこまではしていないことが多いし、必要以上に情報は入ってこないし、周りと比較して何か思うこともない
他人は他人、自分は自分で、自分が満足できて楽しければそれでいいに気持ちを持っていくことなんだと思う
『人に好かれる努力をする』
『嫌なことの回避方法として人に好かれる努力をする。とくに目上の人に好かれる努力をする』
自己肯定感といいつつ、他人からの評価を気にするが故のものなので、ひとに好かれる努力をすることも大切なのは間違いない
人に気に入られることで楽にできることもあるし、人以上に評価してもらえることもある
お気に入りという意味合いで“おきに”という言葉を使うかと思うが、生きてきた中でどんなコミュニティにもおきには存在する
あいつはおきにだからいいよなと親指をくわえながら生きていたこともあれば、お前はおきにだからいいよなと後ろ指をさされなが生きてきたこともある
気に入られる理由はあるし、気に入られるための努力もみんなしている
人に気に入られようとすると、必ずそこに対してよく思わない勢力は現れるが、そういう人間こそが自己肯定感をさげる1番の要因になるので関わらないを徹底するべきだと思う
どこの世界でも大人に可愛がられる人間が強い
この本を読んで自己肯定感について何か新しい考え方を持てたかというよりは、なんとなく共感できる部分のほうが多かった
本を手にとって読んでみて、出てくる言葉一つ一つに共感があり、自分がなにか答えを求めたいコンテンツに手を出してるからかもしれないが
同じように考えてる人、共感でき価値観を共有できる人がいることで
自分の考え方や生き方に整理がつくし明確になる部分がある
ここからは自己肯定感とはかけ離れるが面白いとおもったので共有したい
『主語のないツイートをする』
例えば
「私は今鍵をなくして家に入れなくて困っている」
を
「失くしてから大切さが分かるものってあるよね」
と書く
『読んだ人は「ああいうことかな!?」と思いあたる何かに当てはめて考えてくれる』
『主語のないツイートは共感性が高い』
『ツイッターは敢えて自分の言葉を使わず他人のツイートに対していいねリツイートすることでまわりに伝えようとする』
佐藤ノアのツイートの何かよくわからないけど共感できてしまうのが腑に落ちた気がする
主語が入らないことによって他人のツイートでも主観的にみてしまうなというのは理解できる
自分の口ではいいたくないけど…や、世の中に対して思っていることを代弁してくれると、ついRTしてしまう
それはもう他人のツイートだけど自分の本意的なところはある
ただ自分の手は汚さずに言いたいことを言っている感は否めないが、そこが共感性を生むのかもしれない
ここで言いたいことって「主観的」か「客観的」かによって共感性が生まれるかどうかだと思うのだが
自分がツイートをする上で一つ意識してることがあって
「面白かったこと」をツイートするときに事実だけを述べるようにしてそこに対して「〜で笑った」とか「wwwww」とか「🤣🤣🤣」みたいな主観は入れないようにしている
相手に同じ状況与えてそこで自分と同じ感情になってもらうことで共感を生むことができる
会話レポとかでも基本的にそこで行われた会話だけを記述するようにして、その会話の内容の面白さに気づくかどうか、突っ込みたくなるかは受けて次第
発信する側の突っ込みたい気持ちが受け手に伝わったときにより面白いと感じされることができる
おもしろ話を笑いながら話されても全然面白さが伝わらないのと同じである
共感を得るときには、いかに客観的に書き、いかに相手に主観的に見てもらえるかは特に重視しているところはある
「ボケる」か「ツッコむ」かのどちらか
「笑い」は受け手側に委ねること
なんの話って感じだけど、ツイートが面白い人、共感性の高い人はどこか“客観的”に感じることが多いので意識してみて欲しい
本を読んだ感想はこれくらいにしておきたいのだが最後にひとつ、センテンスごとに本人の手書きの文章があった
言葉、文章一つとっても手書きってより一層そのひとの言葉になって伝わると感じた
よく生誕祭の代筆フォームとかあると思うけど、あれって誰かが手書きで書き直してるのだろうか
それてもワープロのテキストで印刷してるんだろうか
手書きの方が丁寧な気もするが、それが本人でないならゴシック体のほうがいい気がする
おじさんのメッセージを女の子特有の書体で書かれると全然伝わらないとおもうし、女の子のメッセージを男の汚い字で書いてしまうのも違う
バカっぽそうでもきれい字書くんだなとか、頭いい人特有の汚い字だなとか、見たまんまのザ女の子という感じの丸文字とか
手書きはその人の言葉と掛け合わせることでいいものになると思う
この本を読む上で随所で手書きの言葉があったことがよかった
デジタル媒体でも今ではiPadなどで手書きができる
Only FiveとかWithコレとか温かみはある
今もフリック入力で文章を打っていて、ペンを持つ機会もかなり少なくなったが
どこかで手書きの良さもとりいれて今後はSNSを活用してみたいと思った
ここまてで《5854字》原稿用紙15枚分となってしまった
むこう3年は読書感想文は書かなくて良さそうだ
さすがに長過ぎてここまで読んでくれた人はいるのだろうか
愛は地球を救うことに真剣に語ったほうが良かっただろうか
そう思いながら最後にこのキャプチャをおいて終わりたい
大人になるほど経験が邪魔をして
『大人になるほど経験が邪魔をして よくない想像足がすくんでしまうけど』
それなんだよな。
今の自分の知識、経験、考え方を持ち合わせて人生やり直して、今以上の人生を送りたいと考えたことはあるが
ただその経験をプラスに変えられるかと問われれば、必ずしもそうとは限らない。
むしろその経験が決断を鈍らせることの方が多くありそうな気がする。
自分の経験をプラスに変えたくても過去のマイナスの経験が、結局マイナスの未来を生み出してしまうと考えたくもなってしまう。
もう何が正解が分からなくなる。
人生ってなるようにしか成らないというか、たどり着く先は変わらないんだろうなとは思う。
いや、自分の力で変えうるものもあるが、第三者が関与し始めると自分の一存や振る舞いではどうにもならないことのほうが多い。
どんなにがんばっても変えられない世界もある。
だから限界のその先へゴーマイウェイするしかない(突然の高田純次)ってシークレットシャノワールが言ってた。
(2023/01/05 15:32:43)
最近、Juliahouse総合PのS氏が話しかけてくださることがある。ただ
「黒猫のお披露目チケットはとれたのか?」
「ゆずか推していたやつはしおりに行っている傾向がある」
など、なぜか上木ゆずかのヲタクの体で話される。
考えられる理由としては、ワンダーウィード卒業間際の駆け込み需要時に自分の存在を認識されたことだろう。
自分は上木ゆずかの卒業ライブに行くことができないことが前もって分かっており、最後に会える機会が竜王だったため、まさかまたアイドルに戻ってくるなって思ってもなかったので(思ってなくはない)、可能な限りはなしに行った。
最後の物販でもまわりのヲタクのご厚意でS氏にお願いして締め切りかけていた列の最後尾に入れてくれた。おそらくその印象が残っているのだろう。
推しといわれれば何かしっくり来ないが、ずっと好きなアイドルの一人である。CoverGirls、ワンダーウィードと渡り歩いてきた上木ゆずかであるが、両グループを通しての付き合いだ。ただ、どちらでも推している子がいたので、決して推しではなかったが、よくチェキはとっていたほうだと思うし、ライブ中もよく目を合わせてくれた。
ワンダーウィード前体制終了ワンマンぶりに約9ヶ月ぶりに会ったにも関わらず別グループの渾身のシュプレヒコールポーズをキメるくらいにゆずかの前では真面目に生きれない。
(2020/12/5 23:36:42)
2年前のシーシャノのお披露目ライブのあと、上木のことでもブログに書いてやるかと書き始めたのはいいが途中でめんどくさくなって下書きに2年間眠っていた。
そういえばシーシャノの略称は黒猫だったなとこれを読み返して思い出した。
2年の月日がながれ、卒業したアイドル、行かなくなったアイドル、新しく行き始めたアイドル、たくさんいるが
移り変わりの激しいこの地下アイドルの世界で上木ゆずかはまだこの世界に残り、気づけばJuliaHouseの現役最長在籍者の『お局』として偉そうな顔をしている。
明日生誕だしブログ書いてやるかと下書きをベースに書き始めたが、めんどくさくなってきて今ここでまた下書きに送り込んで、卒業するときに続きを書くか考えているがもう少し頑張ってみようと思う。
(2022/12/27 10:35:42 at 品川ステラボール)
結局、生誕に間に合わすこともなく、年を越し、実家から東京に戻る新幹線の中で続きを今書き始めている。
明日1月6日で上木ゆずか ex.上木美亜に初めて会ってちょうど5年だ。
初めて会ったのは、5年前の正月明けの肉フェス@京セラドームだった。
自分がこの所謂”地下アイドル”とよばれる世界に来始めたのがちょうど5年前で、佐倉ちひろがきっかけだったのもあって同じ事務所のCoverGirlsに興味を持ち始めたころだった。
そのイベントにワンウィはいなかったが、カバガが居たのと、当時自分は関西に住んでいたのでそのイベントに行った。
上木美亜と話したくて話したかと問われれば、カバガチヤと呼ばれる写メ券やチェキ券がランダムに入っている特典で、上木美亜ノーマルチェキ券という当時の自分からしてみればハズレをひいてしまったようなもので、特に話すこともなかったが話に行った。
”この子は年末年始でインフルを拗らせて、みんなが車移動してきた中、一人新幹線でVIP待遇で移動してきた子”
という予備知識だけいれて話に行った。
今でも忘れもしない初対面。
見慣れない顔が自分のところに来てくれたので、特大のアイドルビジネススマイルで迎え入れてくれたものの
渡したチェキ券がカバガチヤで入手したものであることに気づき
「この人は自分と話したくて来てくれたわけではなく、ランダムで当たってしまい、本人意思で来てくれたわけではない」
と悟った顔をされた。あの特大アイドルビジネススマイルが一瞬真顔になった瞬間を今でも忘れない。
あれが上木美亜のほんとの姿だといまでも思ってる。
申し訳ないなと思いながらも『インフルエンザ大丈夫ですか』『背高いですね』など目に見えて関心がない人間の顔つきでその場を取り繕った。
ただ、自分も人間なので、申し訳ないことしたなと思って、次ライブに行く機会があれば、ちゃんとチェキ券買って、チェキをとりに行ってあげようと思った。
そんな中、上木美亜卒業の情報が流れてきた。1ヵ月後ぐらいに卒業することが決まった。
次の機会にチェキを撮りには行き、ちゃんとチェキ券を買ってきた人間なので、特大のアイドルビジネススマイルで特大のアイドルビジネス対応をしてくれた。
割とすぐに仲良くなって、気付いたら卒業するのが寂しいなと思うようになっていた。
卒業も近づいて来て、上木美亜にとって最後の定期公演があったとき
本人が「とってもとっても来てほしい」
とツイートしているのを見て、最後だし行かなきゃと、当時修士論文提出1週間前だったにもかかわらず、研究室を脱獄し、TwinBox AKIHABARAに向かった。
ただそこで迎えた結末は”卒業撤回”だった。
自分としては出会ってまだ1ヵ月、まだまだ仲良くなりたかった、卒業してほしくないと思っていた身だったので、素直にうれしかった。
結局、5年前に出会って1ヵ月で縁が切れるはずだったのに、5年たった今でも変わらない関係が続いている。
まあ正確に言えば途中でワンダーウィードを卒業し1回いなくなってはいるが、今はシークレットシャノワールという形で会うことができている。
あの日、話していなければ、この子は卒業する子だし話にいってもな、くらいに思ってわざわざ接点は持たなかったと思う。
なんとなくカバガチヤの出会いから卒業撤回までの1ヵ月がなければ今こうして仲良くやってるかなと思うことは結構ある。
ゆずかのヲタクだと思われてることが多いが、カバガは坂東推しだったし、ワンウィはちひろ推しだった。
シーシャノになってシーシャノというコミュニティが存在して初めて「ゆずか推し」という概念が存在し始めたかもしれない。
シーシャノになってグリーンのペンライトを持ってたり、ゆずちゃん大好きうちわをもってライブに行ったりしていたせいで、不本意ではあるがメンバーからはゆずか推しの人だという認識受けていた。
はなしは少しそれるが「経験が邪魔をしてよくない想像足がすくでしまうけど」じゃないけど、アイドルを推し始めてたどり着く先ってそうしても”他界”だと思ってしまう。
それは自分が過去に推したアイドルを最後の卒業まで推したことよりも途中で他界したことの方が多いからだ。
「推さなければ、他界することもない」というのもひとつ自分の中にあって
結局、上木ゆずかというアイドルとここまで変わらず関係を続けてこられたのは、上木ゆずか推しとして生きたことはなかったからだと思う。
たぶん、どこかで上木推しとして生きていたら今頃縁も切れていたと思う。
ゆずかとはアイドルとヲタクの本来あるべきな程よい距離感で接することができていた。
上木ゆずかという人間を5年見てきて本当に変わったなと思うことが多い。
どうしても昔のイメージというかCoverGirlsの上木美亜を知ってると
(2023.1.5 15:08:22 at 北陸新幹線)
今日は1月28日、生誕祭から1ヶ月経った。さすがに書き終えたい気持ちもあるので東京に向かう道中で書ききりたい。
前章(章ではない)でゆずかがほんとに変わったと書いたが先日のJuliaPartyでワンダーウィード時代のSEPPAをやっていた。
本人も昔よりも歌もパフォーマンスも昔より自信があると言っていた。
ゆずかは間違いなく昔に比べると歌がうまくなったとおもう。というよりは自分の歌い方というか見せ方というか、スキルの向上の中で自分のスタイル見つけたのかなと感じる。
線香花火のBメロの「でもこのまま終れるほど大人になれない」の気持ちの入り方というか、いい意味できれいに歌ってない気迫がすごくいい。
Divacationに入ってコレットプロモーションを歌えるかと言われればまた違うんだけど
アイドルって歌の上手さとか綺麗さとかもそうだけど魅せ方が大事だし1番は気持ちの乗りなのかなと自分は思う。
SEPPAもすごく良かった。コロナ禍で声の出し方なんて忘れてたけど、忘れてたと思ってただけでシンプルにそういう熱いライブと環境、歌い手の気迫に自然とコールが出てくるライブがなかっただけで
2019年の熱いワンダーウィードが気づいたら蘇ってきてた。
このコールがだいすきです! pic.twitter.com/tvUVAFrC6C
— 上木ゆずか【シークレットシャノワール】 (@kamiki_yuzuka) 2023年1月21日
生誕のときに、仮面女子とラブドル(敬称略)とコラボもしたけど、ほんとにコラボに向けてしっかりレッスンしてきて(当たり前なんだろうけど)
コラボ実現の中で事務所の力は大きとは思うけど、お誕生日の記念にとかではなく、一緒にステージに立って引けを取らないパフォーマンスだった。
2ndワンマンで2023年での卒業も発表されたけど(3回目なので特に驚いてもないし、本当にやめるとも思ってない)
シーシャノ見てて普通にいいなって思うようになったしメンバーにも最後恵まれたのかと思う。
冗談半分で卒業の特権使って関ケ原のメインに立つとかツアーやるとかいってたけど
今の4人なら実績も積み上げられると思うし、そんなものなくても実現させられる目標だと思うので
是非みんなで掴み取って喜びを分かち合ってほしいかな。
(↑本人には特権で〜とか言ったら上木のグループだけ特別扱いされてと言われて他のメンバーの頑張りが報われないだろって言ったら、辛口コメントだと渋い顔されました(泣))
上木ゆずかも気づけば佐倉ちひろのポジションだったジュリアハウスの総監督の位置に付き、後輩から忖度込みの敬意をはらわれ、いつでもやさしく応援してくれるファンの方に囲まれ、完全に居心地のいい空間が出来上がってしまい
まわりからバカにされ、いじられる中、「俺はいつでもゆずかの味方だからね」と偽善者ぶってれば、上木ゆずかのなかではいいやつのポジションを保てたのに
気づいたら自分が先陣をきって上木をいじり、くだらないことをして、古のC◯verGirlsのヲタクのようになってしまってる自分が情けない(とは思ってない)
良くも悪くもこのような関係でいられるのは上木ゆずか(27)だけなので、最後まで変わらずくだらないことで笑って過ごせたらいいと思う。
もう1回竜王のメインステージだけはみたいね
本ブログはすべてフィクションです。
You’re the only one
"the"の発音って「ザ」と「ジ」の場合があるじゃないですか
その使い分けを知ったのが大学3回生くらいの頃で
たまたま英文科の友人に教えてもらった。
theのあとが子音の場合は「ザ」、母音の場合が「ジ」
そんなこと授業で習ったことなかった気がするが、これもまた指定校推薦で大学に進学した人間の弊害だろう。私は致命的に英語ができない。
ピンクグレープフルーツの「You’re the only one」と歌詞を聴くたびにそのことを思い出す。
そんなわけで(どんなわけで)、11/1に開催されたAi★Kuru 1st ワンマン 『Suki∞』に行ってきた感想を書こうと思う。
ちょどこの日がデビューして5か月、プレデビューも合わせると半年くらいだろう。
プレデビューのJCIFにも行っていたし、ライブも見た。みらいちゃんとも話した記憶はあるが特にアイクルというグループにそこまでの印象は残らなかった。
プレデビューだったし、衣装もきていなかったし、メンバーも把握していなかったのもあるかもしれない。
歌詞に「好き」がとにかく多かったのが率直な感想で、初見でおじさんがついていくには少し難しかったかもしれない。
そんな中、デビュー後に関ケ原の予選会でアイクルを見る機会があった。
衣装を着たアイクルを見るのがこの時初めてだったが、プレデビューで見た時とは全く印象が違って、こんなにかわいい子を集めたグループだったのかとなった。
ライブもこの時に見るのが2回目だったが、けっこう振りコピで楽しめるグループだという手ごたえもあった。
その日の翌日にも予選会があり、もう1回アイクルが見たいというのもあり、アイクルを見るためにVeatsに行った。
その時に初めて四宮花恋ちゃんとは話した。ビジュアルはもちろん可愛くていいのだが、歌もうたえて、ライブパフォーマンスとして”アイドル”ができているのが好印象だった。
迎えた関ヶ原では、大きいステージこそなかったものの
あの山の中に作られた下剋上ステージのアイクルがめちゃくちゃたのしかった。環境に左右されないライブの本質的な楽しさはアイクルにはあると感じた。
持ち曲も4曲しかない中で変わり映えのないセトリではあったが、持ち曲すべてが楽しいと思えた。
関ヶ原を通してピンクグレープフルーツにドはまりしたのも事実だ。今年の関ヶ原はアイクルのピンクグレープフルーツがすべてだったといっても過言ではなかった。
竜王ももれなく楽しかった。ステージもそれなりに良く、夏フェスを満喫できた。
夏フェスが楽しいと思えることが全てだと思う。ワンマンや生誕などいろんなイベントがあるが夏が楽しくあることが大前提だ。
そんな中でアイクルとは楽しい夏が過ごせたと思う。
気づいたら四宮花恋ちゃんを推すようになっており、竜王のガルボム撮影会もライブの合間に回せる気がしていなかったので行くつもりではなかったが、空いた時間で当日券で参加した。
近代麻雀のときも見ていて、まわりがやるやらないに関わらず自分のために自分を活かせるようにできることを頑張っているのは偉いと思う。
竜王のときは他のジュリアハウスのメンバーとは別日、別部だったのは少しかわいそうだったが、高校生ながら撮影会という場に参加しようという気持ちは次につながると思う。
竜王の時点でワンマンの開催はすでに決まっていたが、この時点で自分としてもかなり気持ちが入っていた。絶対楽しいのものになるだろうという期待もあった。
と、いいつつも9月10月と思いのほかライブに行けなかった。別グループのツアーもありなかなか東京に行ける機会もなく、結局9月に2回と10月はワンマン直前の週末のみだった。
自分としてはもっと行きたかったという思いもあるが可能な限りは行けたかなと思う。
ワンマン当日だけ行っても楽しいと思える世界線もあるが、自分は圧倒的にそこまでのプロセスがあって成り立つのがワンマンだと思う。
その日だけ行って楽しければ普段からライブに行く必要なんてない。
だから最後の週末もアイクルのライブが見れてよかった。
ワンマンは変に気持ちが入りすぎて嫌な緊張とかもあるが今回は純粋に楽しみという気持ちしかなかった。
o-westでの開催というところで、率直なところデビュー5ヶ月とこれまでのキャリアから考えるとキャパは大きすぎるかなとは思ったが
埋まろうが埋まらまいが、そこでワンマンをすることが彼女たちにとって大きな経験となればいいと思った。
ここまで単独ライブも生誕の数回程度でワンマン自体が未知の世界だったとは思う。
花いろはやワンウィ天のようにツアーをやってそこのファイナルとして開催するワンマンとも訳が違うし、求められるものも違うのかなと。
当然、どのグループも満員にしたい、いいライブにしたいという思いもあると思うが
今のアイクルに求められるもの、作れるものを期待した。
曲数もワンマン前の時点で6曲、当日披露された2曲を合わせると8曲
west規模でワンマンをするには楽曲だけでも物足りない感は否めない。カバー曲3曲とゆめかとのコラボでなんとか形になる感じだ。
本人たちもできるなら自分たちの持ち曲だけでやりたいという気持ちはあったと思うが、こればかりは本人たちの一存では決めれない部分もあるしデビューから5ヶ月という期間を考えると今できる最大限のライブだったと思う。
こういうカバー曲では練習不足が際立って歌詞が飛んだりする部分もよくあるが
そういったところもなく、全員がちゃんとワンマンという場にふさわしいパフォーマンスをしていた。
今年の4月あたりからジュリアハウスに新しくユニットに入った子たちを見ているとやっぱり天にはライブ力のある歌える子、パフォーマンスできるが振り分けられているなと感じる部分がある。
ただアイクルに関してはメンバー全員がビジュアルもパフォーマンス力も何一つ劣ってるとは思わないし、若いのに完成度が高いと感じるのが本音だ。
みらいちゃんはアイクルになってから本当に変ったと思う。自分の意志が言葉や行動出るようになったと思うし、何よりライブ中の笑顔も増えた。しっかりグループを引っ張っていこうという自覚がみえる。自分は天の時代からずっとみらいちゃんをみてはいるが決してみらい推しではなかったし話す機会も極まれだったので、今こうしてみらいちゃんとアイクルでこんなにも接点をもっているのが不思議に感じる。笑 みらいちゃんとしても天にいたころは甘かった部分もあったとは思うが、アイクルとしていいグループ、いいメンバー、いい楽曲に恵まれて、新しい環境で頑張ってほしいと思う。みらいちゃんには花や天を越えていくくらいの気持ちでやって欲しい。可能性はゼロじゃないし、あとは自分たち次第だと思う。
かれんちゃんはちょうど大学受験と時期がかさなってほんとうに大変な時期ではあったと思うし、来年からは大学生という立場になり、これから先、学業との両立とは常に向き合って行かないといけない部分はあるが、そんな学生という立場でもアイドルとしてご飯を食べてる先輩たちにプレッシャーをかける存在になって欲しい。個人的にはかれんちゃんが花いろはにいても自分はメンバーとして成立するくらい王道系のかわいいアイドルとしての素質はあると思うし、ある程度グループとして知名度やファンが多いところに入れば今よりも自然にファンがつくとは思ったりもするが、新しいグループをもらえるのも幸せな話ではあると思うので、ここで自分の力で世界を切り開いて欲しい。
もえちゃぽは圧倒的な人懐っこさがあって、特典会に行ったら真っ先に自分を見つけて手を振ってくるあたりがずるい。笑 ライブ中もそうだけど視線の合わし方とかレスの送り方とかもうすでにアイドルとして完成されているところがある。popteenのモデルやってたりグループ兼任してたりと、すでにたくさんの経験を積んできてるだけのことはあるのかなと思う。あとはジュリアハウス所属ではないところで少なからず型にとらわれない新しい風を吹き込んでくれている気がする。これはキラリちゃんにも同じ物を感じる。モデルという世界がそうなのかわからないけど、先輩という立場の人をたてながらもいい意味で遠慮することなく人間関係を作れるのかなと。あんまり大きい声では言えないがジュリアハウスにはない切り口でグループを盛り上げてくれたらと思う。
キラリちゃんはアイクルのような王道系のグループよりも天のようなガールズロックの方がおそらく良さは今以上に際立つだろうなってのが最近感じる。まず歌唱力が高くて、カバーで披露した夢ってYEAHの神坂くるみのパートをクオリティを落とすことなくカバーできるのはほんとにすごい。白川ゆめか、神坂くるみに継いでの歌唱力だと思う。ダンス力もすごくて正直アイクルのライブだと伝わらないが、TikTokでやっているダンスとかすごい。ほんとの意味での“ダンス”をしている。パフォーマンスではこの若さで申し分のないレベルだ。キラリちゃんにももえちゃぽ同様に新しい風を吹き込む存在になってほしい。
ゆりちゃんは甘い歌声と可愛らしいキャラで個人的にもっともっといろんな人に見つかってもおかしくないと思う子だ。控えめなところがあるのかなと思うが、数回はなしたことがあるだけなのによく自分のこと見てくれてるなって思うところあるし、かけてくれることばもありきたりなことばではなく、その人をちゃんとみてのことばだったりする。なにかひとつきっかけを掴めば自然と応援してくれる人はついてくるだろうし、自信をもってアピールしていってほしいなと思う。MC中で見せたもう一度アイドルとして頑張りたいという素直な気持ちも
を大切にして頑張って欲しい。
メンバーみんなが若くて学業であったり別グループ、モデル業となかなか専念できない部分もあると思うが、そういう立場の子たちが頑張ることで、アイドルという世界にプレッシャーをかけていって欲しい。
ほかで忙しいからと言えば目をつぶってくれる良くも悪くも優しい世界ではあるが、どういう立場であろうと同じアイドルという土俵で勝負しなければならない世界である。この世界でやっていくと決めた以上、負けない気持ちをもって頑張って欲しい。
また若さ故に失敗や苦難もあると思う。避けられない道もあると思うし、それも経験だと思うが、しなくていい失敗や苦難もあると思う。
みんな高い理想をもってアイドルを始めていく中で道を踏み外す子もいれば壁にぶつかって夢を諦める子もいる。
そういう経験をしてある程度道を開いてくれた先輩もいる。アイドルとしての姿勢ややり様、意識の持ち方など、必ず追うべき背中というものがあるので、彼女たちには是非ともまっすぐアイドルとして正しい道に進んでもらいたい。
話がそれたが、ワンマンライブはそんな彼女たちに今求められる最高の形となったものだった。100点満点を求めて120点で返ってきたワンマンも久々だった気がする。楽しかったし、誰よりも楽しかったと思える自分もいた。
これからのアイクルに求められるもの、次回ワンマンがあったときに求められるものは、当然今回よりも大きなのもになるとおもうが、そのときにまた、成長した姿が見られたらなと思う。
君が見た理想になれなくて
年明が明けて一発目のライブ
新木場 Studio Coast の夜の野外ステージ
ワンダーウィード天のタイムマシンがどこかエモーショナルでセンチメンタルに感じた。
「ごめんね僕が悪かったよ 君が見た理想になれなくて」
私の中で抱えている何かに対して言っているのか、そうとも捉えたくなるような気持ちでライブを観ていた。
感情移入してしまったとライブ後に伝えたくらいには感情的なライブだった。ただお互いそれがどういう心境だったのかは分からない。
寒空の野外ステージから見えるペンライトの景色に対してなのかもしれない、今思えば5人で立つ残り少ないステージだと分かっていてのライブだったと思うと、そういうところから来ていた感情なのかもしれない。
どこまでのことが決まっていたかは分からないが、おそらく本人たちの中では後に発表させたことはあの時点で共通認識をだったはずだ。
自分は12/27を最後に東雲しおりがTikTokの更新が止まっていたことと、メンバーの不穏なSNS投稿からなんとなく何かがあったことは察した。
後に発表された、成宮さつきの解雇はまったく予想もしていなかったので驚いたが、白川ゆめか、東雲しおりが行っていたことには認識していた。正確に言うと東雲しおり関しては把握していた。
知ったタイミングは11月の福岡遠征の前の日だった。
そういうところの勘の鋭さとSNSを深追いしてしまう性格が時に嫌になることがある。鈍感で何も知らないほうがいい世界もある。
自分が見たときはルール違反というよりはルールの盲点を突いたものだったと思った。だから攻めることもできないなとは思ったし、自覚と認識の甘さだとそのときは思うようにした。
とはいえ、とてもじゃないけど今から福岡へ行くという中で知りたくない情報ではあった。正直、福岡を最後にして現場を去ろうとおもって福岡にいった。何も期待しないようにしたし、半分どうでもよかった。
ただ捨て身で何も期待せずに行ったせいで、思った以上に楽しかった。というよりはそんなことを知ってしまっている以外は文句の言いようがないくらい楽しい時間を与えてくれたしライブ・オフ会も楽しかった。
来ているヲタクの人数も少なかったのもあるがライブ中もオフ会も普段以上に与えてくれたと思う。実際会っているとそんなこと気にしなくもなる。
楽しかった、幸せだったと帰って来れたが、帰ってきてから虚しさがこみ上げてきた。最後のつもりで行ったのに首の皮一枚つながってしまった、幸か不幸か生かされてしまった、そんな気持ちだった。
そこからはSNSをみるのも嫌になったし正直ライブも見たくなくなった。
翌週のランドマークの対バンもチケットは買っていたが、行く気になれなかったので行くのをやめた。ただ、チケットを持っていたことと知人に誘われたので、花いろははいるし別のモチベーションは持てたので結局ライブに行った。
案の定楽しいわけなかったし、態度に出てしまったのは悪いが物販で楽しかったかと聞かれた。そもそも物販にすら行かないでおこうと思ってたくらいだったので、行ったでけで頑張ったほうだと思う。
一番悩ましかったのがそんな中での東雲しおりプロデュース公演だった。平日に休みとってまで遠征しなければならないことがほんとにしんどかった。ただ、自分の中でそこに行かないは即ち他界くらいの感覚だ。わざわざ平日にいってまたつまらない顔もしたくないので、SNSに関するリプ、コメント、いいねもしていなかったがひとまずそこに対しては気持ちをしっかり作っていくようにした。
決してかまってほしくて、気を引きたくてそういうことをしたわけではないが、本人から返ってくるコメント返しからも自分にモチベーションがないのを察しているであろう返し方だった。そのおかげと言うのも情けないが何とかモチベーションが保てたと思う。
プロデュース公演のあとも「平日にわざわざきてもらって楽しくなかったどうしようと思ってた」なんてことを言われて、今まで何回も平日のライブに来ていたのに改まってそういうことを言われた次第だった。
そのとき少しだけお互い本音を話して少し気を取り戻した。
やっていることが普通ではなかったし、これがこの先ずっと続くこともないだろうと思っていたので、1回離れてしまうと戻りにくくなるというのもあり、気持ちが切れない程度に最低限関わることにして、いつか改めなおす機会を待つことに決めた。
最低限と言いつつ、全然最低限ではなかったが。
クリスマスもスーツ着てきてねという要望に対して、そういう感情で馬鹿正直に着ていくのも半分情けないと思いながらも、着て行って、楽しかったね、一緒に過ごせてよかったねなんてことを言って、
福岡遠征にしかり、クリスマスにしかり、その時その瞬間は楽しかったし幸せだと思ったが、心のどこかで虚無感はあった。
そういうことを知ってしまっていながらも、しおりちゃ本人からは何一つ文句の言いようがないくらい与えられ、与えてくれていた。それこそTikTokのコメント返し、ライブ中のレス、よくしてもらっていたほうだと思う。それが何とも言えないくらい複雑な心境だった。
自分は割とはっきりものをいうタイプで東雲しおり本人にも思うことは良いことも悪いことも言うところがあったので、なんとなく忖度されてるのかなと思ってしまうこともあった。そうは思いたくなかったけど、そう思いたくなるような背景があったのも事実だ。
自分としおりちゃんだけの世界を切り取れば十分幸せだった。
一歩さがって客観的に自分を見たときにむなしかった。
年末年始もずっと東京にいて、そのなかでワンマンの開催が発表されたり、EXシアターのライブがあったり、ラストの新木場のライブがあったわけだが、今思うとその時グループ内ではすでに…と思うとあの時間は何だったのかなとも思う。
年末年始、お互い言い聞かせるように1年一緒にすごせてよかったね、今年も一緒にすごうそうねと言っていた。
去年の年賀状に「自慢の推しメンになるね」と書いてくれていた。同じタイミングで年賀状引き換えに渡した自分からの手紙にはそう書いてあることは知らずに「自慢の推しメンになってね」と書いていた。
自分の理想をアイドルに押し付ける訳ではないが、ここに関しては共通の理想というものがあったと思う。
1年経ってその答え合わせをしようかと思ったが、自慢の推しメンになれてるか聞かれてもこういう状況でなれているとはいってあげられる自信はなかったし、本人からもなれてるとう回答は得られなかったと思うので聞くのをやめた。
そこから1週間くらい経って、今回の件が公式から発表された。
当然ながら驚きもしなかったし、落ち込みもしなかった。
やっとこれでしんどい思いもしなくて済むなといった気持ちだった。
最初は前向きな気持ちになれたが、ことが公になると無理に我慢もしなくてよくなったと思うといままで抑えていた感情みたいなものがこみ上げてきて余計に気持ちがマイナスになってしまった。
自分の中では今までとは何ら変わりのない状況、むしろこれからプラスに向かっていくであろう状況の中で、腑に落ちない日々が続くようになった。
正直、12月くらいからは花いろはがいるからとりあえずライブに行けるみたいなところがあったので、1月の大阪では少なくとも会うだろうという認識だった。
ライブを観ようか、物販に行こうか、それくらいに考えていたが、実際見ないわけにも行かないし、物販に行かないわけにもいかなかった。
当たり障りのないところでライブを観ていたならまだしも、フロアのど真ん中でライブを観ていたので本人も正直やり辛かったとは思うが、いつもといい意味で変わらない表情で目があったりするたびに自分はどうしたらいいのかわからなくて辛かった。
もうひとつ、さつきのいない4人のライブが一番みててきつかった。自分はフロアのセンターを選んでみることが多いので、4人になるとゼロ割れしてサビで目の前に誰もいなくなる。いつもそこにさつきが居てよく目を合わせてくれたりしていたので自分の中でライブ中に見えるものが全然変わってしまった。
レスが欲しければ上手・下手で見てたほうがおいしいのは分かっていたが、メインパート、落ちサビ、ラストサビで推しの姿をセンターで見ることにライブの価値を見出していたので、ラストサビでセンターにいないことで自分が見出していたものが全部なくなった気もした。
特にgo your wayは天になってやっと勝負できるようないい曲だったし、ラストサビでセンターに来る東雲しおりに期待するものも大きかった。
自分の中で気持ちを切り替えて天に行こうという気持ちがわいてこなかったのと、グループ内でいろいろあり、メンバーが一人抜けた状況で迎えるワンマンはすくなくとも自分が求めてきたものではないと思ったし、そこで最高だった、楽しかったと言えるくらいなら、自分もそこまで親身になって現場に通う必要もなかったと思ってしまうところもあり、仕切り直すならワンマンが終わってからだと決めていた。
ワンマンもさすがに行かないわけにはいかなかったし行くことにしたが、何も期待はしないかったし、なんならこれ以上失うものも無いくらいの気持ちでいった。
福岡のときと同じだったが気持ちを最低限までもっていくと案外一周回って楽しめるものかもしれない。
最初は正直ステージすら見るのもしんどかったが、さすがにワンマンでライブも長いので途中からいろんなことがどうでもよくなった。
ただやっぱりここで楽しかった、最高だったと言いたくない何かはあった。
もちろんこのワンマンに対して1ヶ月頑張っていたことは認めてあげたいし、そこは傍からしか見てないが頑張っていたのではないかと思う。
前提としてライブに対しては1年半ほんとに頑張っていたと思うしパフォーマンスも磨かれたと思う。
ただ行動面で今回のようなところを含めてなにか一つ頑張りきれてないなというのはずっとあった。なんとなく東雲しおりには慢性的に存在するワンダーウィードの悪しき風習を断ってくれることを期待してきたところもあったが結局本人がそういう結果を招いてしまった。結局たどり着く先はみんな同じなんだなと思った。
ワンマンのコメントでライブで魅せたい(意訳)的なことを言っていたがせっかくライブを頑張ってもそれが伝わらないことだって出てくる。
なんなら今回のワンマンの表題でもある
「だから私は今日もアイドルだ」
みたいなメッセージ性の強い曲で言葉の重みを感じられなくなる。基本的にワンダーウィードの曲はそういったメッセージ性の強い曲が多い。歌詞一つ一つに重みがある。どれだけパフォーマンスを磨いて気持ちを込めて歌ってもそれが伝わってこない。むしろ冷めてしまうことだってある。
だから今一度気持ちを改め直して行動からすべて見直して欲しい。
ライブ、パフォーマンスに対しての取り組みは変わったように、変えているように見えるが、他にもまだまだかわってほしいと思うところはある。
これから白川ゆめかと東雲しおりが残り新メンバーを加えて再始動することになるが、天になって変わりきれなかったところ成長しきれなかったところを、ここから変えていって、成長を遂げてほしいと思う。
自分もここで他界するなら11月の福岡を最後に現場を離れていたとおもうし、心のどこかで変わってくれることを期待している部分があるから推し続けたいたのも事実だ。
思った以上に気持ちを切り替えることができてないし、なかなか前向きになれない気持ちはある。なんとなく払拭されない不信感も正直まだある。
自分がこの1年半のどこかのタイミングで出会ってたならもしかしたらもうどうでも良くなっていたかもしれないが、初めてステージに立ってた日からずっと一緒に来たので自分としてもここで引きたくないのはある。できるなら卒業まで見届けたい。
それが使命感とかエゴではなく、こころから応援したいという気持ちでいたい。
今までのようにとは行かないかもしれないが、また心から笑って心から楽しかったと言えるようになればとおもう。
サディスティックかき氷
ロマンティックいか焼きを100年ぶりにくらいに聴いた。どちらかと言えば2番のサディスティックかき氷という歌詞のほうが自分は好きだ。
ちひろに出会ってから5度目の生誕祭だった。一番最初に行ったのは21歳のときの表参道GROUNDでの生誕祭だった。出会ってから1ヶ月と間もないころで、そもそも生誕祭というイベント自体が初めてだった。自分も学生だったことを思うととおい昔のように感じる。
22歳の生誕祭はバンコクに行った直後の平日でさすがに有給を取るのができなくて断念した。
23歳の生誕祭は物販だけ行った。当時たまたま関東に長期出張していて仕事終わり物販だけなら行けたので一言おめでとうだけ言いに行った。このときはワンダーウィードには通ってなかったが直前の年末のM.I.Dのラストワンマンくらいから機会があればまた話に行くようになってた。
今思うとあの日のM.I.Dのラストライブに行ったことが今に繋がってるのかなと思う。その時すでにグループが別れる事が発表されており、涙ながらに決意を表していたのをみて何か心に響くものがあったのだとおもう。
まさか自分が新しくできるグループに通うなんて思ってなかった。
昨年の生誕は花いろはとして初めての生誕であり自分も気がつけば花いろをデビューから見続けていたのでこの日は当然のように行った。
花いろはになってからはかなりの頻度でライブに行き会って話すようになっていたが、会いたいから話しに行く、好きだから話しに行くみたいな感覚はなくて、ライブを見てその感想を伝えに行くみたいな言わばルーティン的なところはあった。
ちひろ本人からもライブも見てくれるしチェキも来てくれるけど推しメンだと思ってもらえてる自信は無い的なことは言われたことがある。
たしかに昔は主観的になりすぎて結局距離をおくことになったので、なんとなくそうはなりたくなくて客観的に一定の距離感を保とうとしていたところはあったかなと思う。
だから自分としてもちひろ推しとしてなにか特別ちからになれていると思ってもいなかったので、何かを求めることもなかった。いつも客観的にただライブを楽しむみたいなところはあった。正直これが1番理想のアイドルの楽しみ方だよなというのは感じていた。
そんなにも関わらずちひろは自分に対して申し訳ないくらい与えてくれた。唯一自分がアイドルに対してしてあげていること以上に与えてくれたのがちひろだった。
そんなちひろの自分の中での立ち位置がかわり始めたのが1周年ライブだったと思う。あの日の気持ちのこもったライブと圧倒的な楽しさに佐倉ちひろは間違いなく推しメンだと強く思うようになった。
新木場ワンマンもほんとに最高のライブで最高の景色を見せてもらったと思う。
自分はそういう病気なのかなってくらいワンマンとか生誕祭に対して憂鬱な気持ちになる。楽しみという気持ちになれない。
理由は分かっていてワンマンや生誕祭といった大切なライブで人一倍楽しいと思えるようにするために日々全力で現場に通ってるのにちょっとしたことで水を差されて楽しめなくなるのが怖いからである。
大きい対バンライブのメインステージとかもそうである。毎回不安な気持ちになって終わってからこみ上げてくるのは「楽しかった」以上に「つまらない思いしなくてよかった」である。
でも花いろはのライブに関してそういう感情になることは今まで一度もなかった。新木場のワンマンも「楽しみ」に対して「楽しかった」が返ってきた。
そう思えるのはちひろのおかげだし、ちひろに対する信頼が大きいからだと思う。アイドル推してるとこの子のことをちゃんと卒業まで見届けられるのかみたいな一寸先は闇みたいなところはある。
アイドル側に理由があることもあれば自分側に理由があることもある。
今のちひろを見ていて「卒業 」というイメージがまったく浮かんでこないくらいまだまだこれからだという期待もあるが、いつかは訪れる卒業ライブに自分がいるイメージができる。保証はできないけどイメージはできる。
それくらいこれから先のちひろのアイドル人生に対して不安がなく信頼してついていこうという気持ちになっている。そのなかで自分も楽しく幸せでいられるだろうという安心感はある。
そんな中での今年の生誕祭は心から楽しみだと思えた。
今まで1番“佐倉ちひろ推し”としての気持ちもあった。
ライブは1曲目のLOVEバケーションがよかった。ラブバケのイントロが神がかってるのだが、特に不意にくるラブバケのイントロが好きだ。前の曲終わりから縦一列のフォーメーションを作らずにイントロが流れてくるときが1番至高である。今回は縦一列からだったが1曲目に来ると思ってなかったのでライブ始まりからギアが上がった感じがあった(個人的に)
2曲目は生誕の厳選されたセトリの中にシュプレヒコールを入れてくれてほんとに嬉しかった。楽曲が強すぎてシュプレヒコールが花いろは初期ほどの輝きを失いつつあるがやっぱり楽しくて好きな曲だ。あとシュプレヒコールのちひろが1番楽しそうで好きだ。
虹ひこはメンバーの平松さんと山岸さんが出られなかったのが悔やまれるがカバー曲は虹のメンバーとやるなど見どころはたくさんあった。
いつも虹のライブ終わりの物販はどうしても花に比べると踊れてないことを言われる。笑 ひとつ言わせてほしいが花が踊れすぎてるだけで虹も他に比べると踊ってる方だと思うしちゃんと楽しいと思ってみてる。
ちひろよりもキャリアのあるメンバーがたくさんいるだけあったパーフォーマンスは圧倒的であるし曲もとてもよい。
虹色の飛行少女が始まったときはこのメンバーのなかにちひろがいるなんてすごいななんて思ってたが今ではそんな中でも負けない存在感がある。一時的な企画グループかと思いきや3年以上続いているグループだし、3年間も兼任続けていることはほんとに感心する。
今年の3月で一旦区切りとなるが虹の中で先輩メンバーの中に混ざりながら得たものはすごく大きかったと思う。自分としても3月まで今の虹ひこをちゃんと見届けたいという思いになった。
この日の1番の見どころといっても過言ではなかったワンダーウィードの復活。ワンダーウィード時代の佐倉ちひろはもちろん知っているが、2016-2017ということで自分がちゃんとワンダーウィードを初めて見たのは2017年12月30日のまいこ・みりあ卒業ライブだったのほんとにほんとにギリでこの時期はみていた。というか1日だけだがこの時期を見ていたことにしてほしい。笑
そう思うとあの日思い切ってライブに行って良かったなと思う。4年越しに回収した感はある。
懐かしいSEと欲張りGIRL、get to chance
これが“ワンダーウィード”だとなった。
ここ1年半1番聴いてるであろう欲張りGIRLもまったくの別世界に感じた。
自分の中で佐倉ちひろは“花いろはの佐倉ちひろ”みたいに完全になっているので、ワンダーウィードの佐倉ちひろ見てきたとは言えど改めて見る“ワンダーウィードの佐倉ちひろ”は新鮮だった。
自分もライブの見方、視点、ちひろとの関係性も当時とはだいぶ変わったので懐かしいという感じよりも新しいものを見ている気持ちのほうが大きかった。
久々に見たワンダーウィードはやっぱり「かっこよさ」と「雰囲気」がすごかった。滝沢あきながいると一気に引き締まる。これがワンダーウィードだなあとひしひしと感じた。
ここ最近はずっとワンダーウィード天を見ていただけに決して比べるつもりはないが余計にそう感じた。
花いろはと同じくらい楽しいとワンダーウィードのライブでも思える世界線があったんだと感じさせられた。
今回の生誕祭では新曲のお披露目があった。
佐倉ちひろ作詞・作曲の「ありがとう以上の言葉を」
なかなか1回で歌詞を汲み取るのも難しいがライブ後に本人があげてくれた歌詞を見ながらしみじみとくる部分があった。
『いつだって通じ合える 確かに深まっていく絆』
ライブを通してちひろと通じあえた瞬間、それによって深まった絆は計り知れないと思う。ほんとにそうだなと。
ライブ中に通じ合えている瞬間、これはほかのアイドルとは次元が違うし、この先ちひろを超えるほど通じ合えるアイドルは絶対にいないとおもう。
自意識過剰かもしれないが「通じ合う」という言葉に対してだれよりも共感できる自信はある。それくらいちひろとの関係を築く上での一つのテーマみたいなところはある。
今年の下半期 関ケ原、1周年、新木場ワンマン、北海道遠征、ZeppTokyo、EXシアター、ラスト新木場、名古屋遠征や名古屋不定期公演 今思うとほんとに濃かったし、常に楽しいを更新できた。
今までアイドルヲタクをしてきた中で一番ライブが楽しいと思えたし、花いろはというグループが一番好きだと思うようになっていた。ほんとに絆が深まった期間だったと思う。
そんななかで生誕祭を迎えられてほんとに楽しみだったし楽しかった。
個人的に昨年末から年始にかけていろいろあった時期でもあったけど() 佐倉ちひろがいてくれたおかげで今までで一番楽しい時間を過ごせていた。
他がどうだからとか関係なく”絶対的に”一緒にいれば楽しい・幸せになれる存在だと思っている。本人からもちひろについてこい、一緒に最高の景色見に行こうという熱い気持ちも受け取った。その気持ちにこたえたいという気持ちしか今はない。
アイドルを応援するというと、ライブに行く、チェキを撮る、特典など買うみたいなところがあって、自分がしてあげたことに対してアイドル側が返してくれるみたいなところがある。というよりはそれが普通だ。
見返りを求めるわけじゃないが、好きなアイドルに与えられるためにお金・時間・労力をかけて頑張れるところはある。 ちひろは申し訳ないくらい自分がしてあげていること以上に与えてくれる。
この界隈ではファンも多いし、応援してくれる人ひとりあたりに返せる量、こたえられる量はその数に比例して小さくなるのが普通だが、小さいどころか誰よりも大きい。
アイドル歴も浅くファンが少ない子を選んだほうが与えてくれる量も多いし、伸びしろという点でも楽しめるところはある。ただちひろに関してはどんなにファンが増えても与えてくれるものは変わらないし、何ならこの一年半でだれが一番成長したかと問われればちひろだし、この先誰の将来に期待を持てるかと問われればこれもちひろだろう。人一倍向上心があって、人一倍ファンの思いにこたえてるからこそだと思う。
グループ掛け持ちして、YouTubeやって、誰よりも大変で忙しいとは思うが、そういうところは一切見せずに常に頑張っている。一人の人間として尊敬できる。
最近ではちひろ推しの人たちと話す機会も増えたが、みんな楽しそうで幸せそうで、ちひろが自慢の推しメンで誇りに思っているのを感じる。応援したらそれに応えてくれるし、応えてくれるからさらに応援してあげられる理想的な関係だとおもう。
ちひろ推しとしてはそれほど何かしてあげられているとは思っていないし、ただ誰よりもフロアでフリコピをするしかできていない。それもちひろ推しとしての自分にしかできない立ち位置だとは思ってるが、これからは今まで以上にちひろに返していけるようにしていきたいなと思う。
先日「もうちひろ推しでいいじゃん」って言われたときに、どうしても無責任なこと言えないというか アイドルを推し始めたら終わりの始まりみたいに感じるところがあってお茶を濁しすような回答をしてしまった。
ちひろがそう言ってくれてのにはっきりと答えなかったのに後悔して後日 改めてちひろ推しとして応援していくという話をしたときに
「改めてその気持ちは持ちつつ、今までと変わらずに」
という言葉が返ってきた。なんとなく自分が思っていることは理解してくれているのだと思う。
でもやっぱりこの1年半は常にプラスの気持ちで、常に楽しみ、常に楽しいを実現できたことはこころから信頼できているからだと思うし、この先のことを考えても楽しみしかない。
正直に佐倉ちひろについて行ってもと上の世界の景色を一緒に見たいと思う。
でも
『この先もどうか変わらずに』
という気持ちはずっと持ち続けたいなと思う。お互いに。
話がそれすぎたが1人で3グループ全14曲
ライブアイドルの佐倉ちひろだからこそできる見ごたえのある生誕祭だった。
“ライブが楽しい”
それに尽きると思う。
これでも佐倉ちひろの持ってる引き出しの一部分に過ぎなかったとおもう。
来年はぜひ東京・名古屋開催してもらいたいところである。
ほんとにほんとに楽しい生誕祭だった!おめでとうとありがとうの気持ちでいっぱいである。
もしも美人ばっかの世の中じゃ
「もしも美人ばっかの世の中じゃみんな平凡なのさ 」
という歌詞を聴くたびに、ジャーニーズが顔で飯食えているのは我々のような凡人が居るからであり、感謝してほしいと思う。
モーニング娘。の俗にいうプラチナ期と呼ばれる時代の『女が目立ってなぜイケナイ』という楽曲のフレーズである。2010年にリリースされた曲で時期的にはちょうどAKBがポニーテールとシュシュを筆頭に神曲たちで一気に知名度を上げ始めた時期だ。
自分は当時はAKBが好きで、全盛期を終えたモー娘。には見向きもしていなかった。ただ、たまたまテレビを見ていた時にモー娘。がこの曲を歌っていた。なんのイベントかは分からないが、土俵の前にセッティングされたステージで力士を前に歌っていた気がする。正直、これは誰得なんだと思った。
ただ、何気なし見ていたが、めちゃくちゃかっこよかった。道重さゆみのバラエティでのぶりっ子キャラしか知らなかったが、ちゃんとパフォーマンスをしている姿がかっこよかった。高橋愛や田中れいな、亀井絵里など今思うと言うまでもない面々であった。
かっこよさと女性の力強さがプラチナ期だからこそ表現できていた曲だと思う。"女性目線"の曲なのもすごく良かった。一切共感できる部分はないがそれが女性の特権感があって好きだった。
当時高校2年だったが一番聴いていたとおもう。
まさかそこから10年以上経って、推しメンの生誕祭のソロカバーで聴けると思ってもいなかった。
しおりちゃんって女の子おんなのこした可愛らしさあまり前には出さないが、女の子だから出せる可愛らしさや女性としての魅力を追求してる感がある。なんというか、メイクしたり美を追求したりすることに対して女の子に生まれてよかったと思ってるタイプだとおもう。勝手なイメージだけど。
自分が好きな曲かつ、そんなしおりちゃんらしい選曲がとても嬉しかった。別に自分がこの曲が好きなんて言ったこともないし、決してメジャーでもないこの曲をまさかしおりちゃんが知っているとも思わない。
しおりちゃんとは性格が合うとは思わないが感性に関してはすごく合うときがある。
推し始めてから1年経ってこれだけ会いに行ったりしてると噛み合わないことも何回もあったし、常にプラスでもなかった。
そういうときもあったからこそ、生誕祭のメインとも言えるソロカバーでばっちり合ったことがほんとに嬉しかった。このデビューしてから1年ちょっと、23歳の1年、推し通してきて良かったと思った。
自分も地下アイドル現場に来てから4年弱になり、当然推しメンの生誕祭は何度も見てきた。ただ、生誕委員的なのには関わってなかったり、主現場としてその時1番メインに通ってる感じでもなく、常に客観的だった。
それでもよかったし、なんとなくライブって主観的に見るとつまらなくなってしまって、客観的に見れるほうがいいと思ってる。なので正直、今回主観的な立場で迎える生誕祭に少し不安はあった。
ありがたいことに生誕委員として関わらさせてもらったが当初はお金は出すので皆さんの好きにやってくださいくらいのモチベーションだった。それくらい客観的な立場でいたかった。
まあでも口出しせずにはいられないタイプなのでいろいろ意見はさせてもらいましたが。笑
今年の生誕祭、楽しかった!みたいな感覚はなくて、ただただしおりちゃんが終始笑顔で嬉しそうで幸せそうだったことが自分にとって1番だった。
去年の生誕祭にも行っていたが、2部制で、終始上の空感があって、ソロの歌詞も飛んでいて、せっかくのお誕生日なのに緊張してて少しかわいそうだった。物販で楽しめた?って聞いてしまったのを覚えてる。
それから1年、さつきちゃんが急遽不在でありながらも、堂々とした姿でライブをしていた。
セトリもしおりちゃんソロ歌いだしの夜空はじまりで、そこからMCなし4曲、カバー含めて、恋休、タイムマシン、欲張りととても良かった。
さつき代役の存在証明落ちサビやカバーの君と僕の歌の落ちサビなど、気持ちのこもったものを見せてくれた。
しおりちゃんはゆめかとかさつきとかのように決して歌のうまさで魅せるタイプではないが気持ちのこもった力強い歌声は魅力的である。これは初めてeastて欲張りを聴いたときにも思った。自分はうまさ以上に感情のこもった歌のほうが好きなのでしおりちゃんのパフォーマンスのそういうところが好きなんだと思う。
去年の生誕から比べるとすごく成長したなと改めて感じた。
自分は太く短くタイプなのでフルでライブに通って1年続けばいいほうなので、ちゃんと1年現場に通って、今年もこうして生誕祭を迎えられてよかった。1年通い続けたぶん、主観的にしか見れなかったが、主観的にみたからこそ感じるものこみ上げてくるもも多かった。
しおりちゃん選んでよかった
しおりちゃん推し続けてよかった
それに尽きるライブだった。しおりちゃんが笑ってる顔がほんとに好きで、ずっと笑顔でいてくれたことが自分にとって1番幸せだったし、最高の生誕祭だった。
“来年も”最高の生誕祭にするためにまた1年しっかりしおりちゃんを推していきたいなと思った。
あんまり同じ推しの人と何かをするみたいなことも今までなかったけど、しおり推しのみんなと、しおりちゃんのために色々準備できたのも良かった。
生誕祭に優劣はつけれないが、しおりちゃんらしさという点ではしっかり出せてたのかなと思う。
来場者に配布した、ドリンクホルダー
Zeppに入場するとドリンクホルダーをもらえる。意外と使ってるヲタクも多いし、形に残るものとしては良いのではないかと思った。ライブハウスの事情さえなかればコーラにつけて配りたかったですね。
これ「ねむのめ」で商標登録されててもおかしくない。