感情と熱力学第二法則
・・・とは(とは)
時折
『感情はどこから湧いてきて、どこへ消えていくのだろうか』
と思うことがある。
例えば誰かを好きになる。その「好きだ」という感情は自分の中の気持ちとして存在するがその実体は分からない。どのタイミングで、どの瞬間からそうなったのかが分からない。
あるいは、この人が好かない、この状況が受け入れられない、といった感情も同じである。
人を好きになる。アイドルでもいい。好きになったからとはいえどうしようもできないことがたくさんある。そんな時に好きでないほうが気が楽だと思う。じゃあ自分の中から「好きだ」という感情を取り除けるだろうか。どんなに自分を諭して割り切ったとしてもそれができない。
誰かともめる。けんかをする。嫌がらせを受ける。迷惑をかけられる。そういった時に「負の感情」を抱く。和解する、仲直りする、是正を約束する、あるいは関係を絶つなどの手段で形式上は整理することができる。だからと言って、その時に抱いた感情というもの一緒に消えていくものだろうか。
それらに対して私が思うことは、
1度そのような感情になったときに自分自身でその感情をコントロールすることができずに残り続けるものだ
ということである。
とは言ってみたが、しっくりこないところがある。
そう思った時にふと
『不可逆性』
という言葉が浮かんだ。日常生活ではまず使用しないであろう単語だ。私が人生でこの言葉使用したのは大学時代の熱力学の講義のみである。
熱力学第ニ法則だ。
熱は高温から低温へは移動するが
低温から高温へは移動しない
このように、ある状態からある状態へ遷移したときに、遷移した状態からもとの状態には戻らない「不可逆現象」を熱力学第ニ法則という(らしい)
だいぶ意訳した説明であり、この言われてる事自体はまあ直感的に分かる。ただ、これ以上学問的な話になりエトロピーだのなんだのの話になったらもう意味が分からない。未だに分からない。
熱力学第ニ法則自体はどうでも良くて、この不可逆性というもので感情というものの整理したくなった。
熱力学第二法則というものに興味を持った変人は以下にYouTubeのリンクを貼っておく。『予備校のノリで学ぶ「大学の数学・物理」』の通称"ヨビノリ"さんのチャンネル、すごくわかりやすくて大学時代に出会いたかった(切実)
「熱」から離れるために不可逆性の現象を
コップの「水」の中に「インク」を入れた時、水の色は入れたインクの色に染まっていくが自然には「水」と「インク」を再度切り分けてもとの状態には戻せない
と例えることにする。
「水=今の感情」「インク=新たな感情」だ。
今時分が持っている感情の中に新たな感情が入り込んでくると、今の感情と新たな感情が混ざりあった状態となり、それが新たな今の感情となる。
新しく入ってくる感情(=インク)が必ずしも入ってきてほしいものとは限らないし、後々取り出したい感情ということもある。それらを取り除こうとしてもそれはもう出来ないものだと自分は思う。あくまで自分はそうだ。
もしかしたら分離して取り除ける人もいれば、水を入れ替えられる人もいるかも知れない。
ただこの熱力学第ニ法則における不可逆性というのは“自然には”元の状態には戻らないということが前提である。
故に感情というものも自然にはもとに戻らないものであると思う。
簡単に分離てきればおそらく人は感情に左右されたり感情を引きずったりはしないだろう。水を入れ替えるとなると、その感情とは無縁の環境に身を置いてすべてを一新するレベルのことをしなければならないと思う。
じゃあどうしたらよいのか、、、
と、考えたときに
「別のインクを新たに入れて別の色にする」
「いろんなインクが入ってきたとしても染まらないくらいのコップの大きさにする」
にすることなんだと思った。
通常は
「別のインクを新たに入れて別の色にする」
になると思う。「別の色にする」というよりは「別の色まで待つ」というほうがいいかもしれない。時と共に「不可逆性」に「不可逆性」を重ねていき、元の状態ではないが、別の状態に変わるのを待つしかないと思った。
「いろんなインクが入ってきたとしても染まらないくらいのコップの大きさにする」
これは、心のキャパシティを増やして、水をたくさん入れられれば多少別の色がはいいてきたところで気にならないほどのことになるといことだ。言葉の通り器の大きい人間になれということだ。
心のキャパシティと書いたが「寛大さ」という言葉がいいだろう。
余談になるがワンダーウィードの楽曲に「小さな花」というものがある。
『人は寛大な(おおきな)愛の中に生まれ なぜ憎しみ会うの?』
というフレーズがある。基本聴く側であり歌詞カードがあるわけでもないので「おおきな」というフレーズが「寛大な」と表記されることは分からない。自分もふと小さな花の歌詞が知りたくなった時に調べたらそう書いてあった。
実はそれを知ってから歌詞のとらえ方が変わったし、いい曲だなとより一層思うようになった。これを書きながら早くワンダーウィード天の小さな花が待ち遠しくなってきた。
話が脱線し最後どう終わったらいいか分からなくなったが、
「感情というものは”不可逆性”である」
ということで腑に落ちた。
ことの必要性を感じた。